2017年5月14日日曜日

花の絵が描けました

美の周辺を彷徨いながら何かを認識したかと思うも、これまた新たな変化がおとずれ、そしてまた改めて・・・
といった具合に非連続の繰り返しの日々がつづいている。
今・・・
「おのずから」と「みずから」のあわいで
「やまと言葉で哲学する」竹内整一 著 の本を読んでいる。
今現在まで培ってきた自分の思考に大きな誤りがあったことに薄々気がつき始めている。
いや思考というより、西洋の近代文明にまったり染まった意識といったほうがいいかもしれない。
しかし自分自身の精神の深いところにある「遠い遠い祖先からの遺伝的記憶」といったようなものが
ちらちらと意識に上がりはじめて来たようなのだ。
これれは新しいというより元々自分の身体の中にあったものであから分かって来たのだろう。
新「あらた」というのは過去を改めて辿ったところに見えてくるともいわれるている。
そういった新に触れた時に感じるのが「わくわく感」なのかとも思った。
近年になって西洋の科学者や哲学者が気がつき始めた、がなかなかたどりつけない感覚。
日本的情緒(美意識)の大切さを本気で考えなくてはならない。
それらがいかに素晴らしいものなのかをこの本は問いただしてくる。
水墨というリアリズムが私の中でより信じることのできるものとなってきた。
水墨画の小川先生が以前お会いした時に云っていた「水墨は裏切らない」とはそういくことなのかな。
と自分なりに理解した。
裏切られても、たとえ間違っていても、それが悪だとしても信じられるもの・・
それが自然(じねん)というものだと・・・仏教の何かに有った気がする。
そしてまた、しかしだが。もっと軽い言葉で美の周辺をブログが書けないものかと・・・。^^!




銀華

水墨

由三蔵





はじめて花の画が描けました

みずからが描いたものですが
おのずからのあわいであるようです



 

2017年4月22日土曜日

コム・デ・ギャルソン

COMME des GARCONS

ファッションは
着る人の人間性を包含するものです。
それは常に政治や経済と密接に
関わっており、変化し続けている。
美の感覚はひとそれぞれです。
私の感覚も常に変化しています。
私には美とは何かという定義より
大事なことは
わくわくすることなのです。

・・・・・川久保玲


上記のことばは、2015年の「SWITCH」でのインタビューに掲載されていたものです。
40年にも及び世界ファッションをリードしてきた、第一線に立つデザイナーの言葉は、数少なく単純で明快。まるで哲学者が苦労して辿りついた概念のような言葉「自分の中の新しさ」それをいつも探求し続けていると云う。
その単純で素敵な言葉をわたしにも当てはめて考えてみた時、自分の中に水墨による新しいモチーフが現れた時のその「わくわくする」という感覚を身近に感じることができた。
・・・それは、言葉にならない「何か」である。
25~6年前ころ少しの間付き合っていた芸大の女の子が、ある日原宿のブティックでギャルソンの靴を買った。(分割払いだったが)20万以上する値段だった。「これはどうしても私が履くべき靴である」と・・・つぶやいていたが、本当にそう思ったのであろう。新たな自分に成れるようなワクワク感はお金に代えられないが、ファッションはビジネスで有ればお金でそれを買うことが出来る。それならアートと同じではないかと思った。
だが芸術作品を購入するのと同じような感覚が働くのかもしれないけれど、もっと触感的なところにファッションはある。
今の川久保玲さんのファッションはアートすら超越していくようなところに在るのかもしれない。
わたしは今頃の年齢に成って、いままで学んだことや経験したことがようやく、やっと問いかけとしてなってきた気がする。
これからが自分自身の創造的進化のはじまりのようだ。
ちなみに哲学者の大森荘蔵の「時は流れず」の読書感と共通するものをコム・デ・ギャルソンのメッセージを読んでいてドキドキしてたならなくなっている自分がいた。

その2015年のギャルソンのテーマ「薔薇と血」というのに、谷川俊太郎の五編の詩が添えられていた。
それからアレンジし自分流に言葉にしてみた。



その

うそはほんとうのこどもです

ほんとうはうそのおやこです

その・・・







2017年4月13日木曜日

数奇は奇数

なんのことはない、画を描いている自分の手を見て指は五本で関節が三つであるという事実に気がついただけである。
だが、その手は道具を使い好きなものを手に入れるのに欠かせないこと、もちろん手が無くととも好きなものは手に入るだろうけれど、想像し、なにかしら表現したいということでの手に入るという、モノづくりの人間にとって手は重要な役目をしている。
つまり、いまいっている、その手に入れたいというのは実在のモノではなく存在自身とでもいっていい、そのものである。
自分が書物を読んで知った数奇な人は西行、良寛、道元・・・などなど何人かいるのだが、きっとどの人たちも数奇を好み奇数にしたがって生きた人物のように思われた。
数字の一に始まる、1というのは考えることが不可能な数だと優れた数学者が云っていた、考えられるのは2からであると・・・。
だから不可能な1を考えようとする人を数奇な人というのかなって、1+1は2ではなく3あるいは1だという思考ではないかと思った。
奇数は動で偶数は静・・生と死、安定と不安定、強いものと弱いもの・・・生命の始まりと進化などをイメージします。(まあ兎に角、恣意的ではありますが・・)

今まで、フェルメールの水墨模写を2点描いたけれど、やはりどうしても水墨にしたと考えていたのが「デルフトの眺望」である。
どのように水墨で描けるかとずっと思っていたもののなかなか良い構想が浮かんでこなかったが、最近になって、ふと頭に浮かんできた表現像があり、それに近い画像をパソコンで作り下図にし描いてみようという計画を思いついた。
それを描く紙は初めて注文した雲肌麻紙で試してみよう。そして墨は、先日ブログに書いた、お友達の女流日本画家に頂いた六角柱で出来た中国の高級油墨を使う事に決めた。自分が手に入れたいフェルメールの「デルフトの眺望」を描く事を想像するとワクワクしてくる。
(偶数は実存の数で、六角の墨を磨ると八角に成るがその一点の角を磨ると11角に成る・・・なんだかこじつけのようですが・・そんな哲学的感覚を楽しんでいるのでしょう)

ようやく[Jiu](慈雨・時雨)が描き上がった。そこでも試したその古墨は実に心地よかった。
もちろん姪子の(呉竹で墨職人をしている)墨は好いのだが・・その本当の優劣の差などは分からないが、数奇でまたお金を出しても買えない高質な墨が手元に有ることに感謝します。


一時より一日におよび、乃至一年より一生までのいとなみとすべし。仏法を精魂として弄すべきなり。
これを生生むなしくすごさざるとする。しかあるを、いなだあきらめざれば、ひとのために、とくべからずとおもうことなかれ。
あきらめんことをまたんは、無量劫にもかなうべからず。
・・・道元「正法眼蔵」(自証三昧より)

ああだこうだと考えているうちに、一時のイメージの立ち現われも消えてしまう。
描くことは至難だが・・今やらなくて、いつだれがやる。
そんな勇気ある励ましの言葉に聞えてきました。




「JIU」(慈雨・時雨)

水墨

由三蔵 画




 

2017年4月1日土曜日

音楽と絵画

日常生活の中で視覚より聴覚、つまり音は情緒をかなり左右するようです。
ここ数日、なんの意識も無いのに頭の中で音楽が、ほとんど一瞬ですが流れます。
その音楽は、キース・ジャレット(ピアニスト)の「ケルンコンサート」即興のソロピアノレコードの一部です。
若いころから、いまだに聴いている音楽のひとつですが、以前はその始まりの部分が頭の中で鳴っていたのですが、今時折鳴っているのは、静寂から徐々に躍動感を増してくる中間の部分なのです。
バッハ、モーツアルト、ベトーヴェン、ワーグナー・・・そしてキース・ジャレットとでもいっていいかと思う音楽の世界遺産だが、そんなものもつくられてもいいが、やはり自分には自分だけの思いが確かなら十分だと・・・まあ、世界遺産とかノーベル賞とか・・実は世の中によりよいよいものを残そうという偽善に満ちた強制にも思えてよくわからないのだ・・・どうでもいいが。
芸術、哲学など言う言葉も西洋から来た素敵な言語の日本語訳である・・・・・しかし、そこに現れる音楽、絵画など、そのもの自体は言葉をもたないのに繋がっている何かがある。
音楽は特に学問や知識無くしても、それを聴く人の心の中に立ち現われてくる情感に言葉はいらない。
わたしが理解しうる絵画の中で音楽と対をなす芸術はいまのところ少ないのだが、それが何なのかわからない。
音楽に感動するのと同じような感覚でフェルメールの絵を観ることができる自分の美意識を考察しつつ水墨を描いている。
凄い写実絵画を描く現代作家が多くいるけれど、なぜかググッと沈黙してしまうような作品に出会うことが稀にしかない・・けれど絵画の創造的進化の方向としては、へたな抽象や創作よりモチーフをただ写す写実絵画がいいような気がしている。(評論家のような語りになってしまいましたがドンマイ!)
天声から「お前の水墨はどうなの?」という厳しい苦言が聞こえてきました。(はい、修練してます。そしてまた楽しんでもいるようです)
音楽と絵画の因果関係のことを少し書くつもりでいましたが、どうもうまく書けませんでしたね。




慈雨(未完)

水墨

由三蔵 画



この絵が描き終えるには、まだまだ時間がかかりそうです
ですが、仕上がった作品を見ても、この画像とたいして
見た目は変らないでしょう・・

6月21日からカツマタ画廊(ギャラリー・タイムキル)でのグループ展に出品するつもりです。
音楽が聞えてくるような水墨画となれば幸いです。



 

2017年3月20日月曜日

練才画工

わたしのような者を練才画工といってみようか・・。

修練の中でしか立ち現われないような画。
そのように思えてくる昨今だ。
表現するとは一体何なんだろうといつも考えているが、表現された多くの絵は過去の巨匠絵画のコダマでしかなく自ら発した声を聴くには、まだまだわたしには修練が足りないようだ。
もしかして、修練そのものがリアリズムの表現でもあるような気さえするが・・。
昨年知り合った90歳の絵師が云っていた「水墨だけはわたしを裏切らない・・」と。今の自分にはその言葉の意味するところは知覚することができない。無常ということかとも思ったが、論理で判ってもその無常を実感できないうちはしょうがあるまい。

本年は、なぜか・・時あれば水墨を描き続けている。
それは、水の景色「光呑滴水」というモチーフを画にしたいプロセスだろうかとも思った。
昨年の夏に山梨の昇仙峡へ行った時に観照した、大きな岩肌を舐めるように流れるキラキラ光る水の景色であるが、描けるかどうか考えただけでもゾクゾクする。撮影した何枚かの写真を眺めていると、その落ちてくる水の触感やその時の風のノイズまでが立ち現われてくる。
しかし、その前にまだ修練ともいえる「慈雨」という水の景色が描けてからだが・・・。

まだまだだが・・・時が熟せばきっと描ける!

どこかだれかの「ファイト!」っていう励ましの妄想の声が聞こえてくる。


また彼岸の入りに、修練の一画「眼晴」を描き終えた。




「眼晴」 (部分)

水墨

由三蔵 画



 

2017年3月9日木曜日

眼晴

約一カ月入院し、肺炎になった、わたし老母の退院が決まった。が複雑な気持ちである・・
その母は入院前とは大きく変わってしまった。肺炎は治ったものの、言葉での会話が普通に出来た入院前だったのだが、現在若干の言葉が解るくらいで、ほとんどのことが解らないようにみえる(本当の母の思いなど判らないが、やはり脳のハタラキがかなり停止してきているのかなと思う)、譫妄なのか認知症なのかどうでもいいが、人間はそのようになってしまうのだと・・点滴が終わりエンゲ食で、もちろん自分で起き上がる事も出来ない状態での退院である。そして老人介護施設へ戻される訳だが・・・何が今一番いいのかあれこれ考えるがどうにも難しいし、現在自分に出来ることはわたしの情緒にしたがう以外にはないのだ。
病院は、これが若い人間なら退院はさせないだろうし、また、金持ちの老人ならもちろんであろうが、そんな思考もつまらなくどうでもいい。

言葉は無くしても、その視線は確かに生きている、わたしだけが分かる感覚だろう。

そう「時」とはそのようなものだ。

ほぼ一日おきくらいに面会に行っていたのだが母の脳が元の一月前に戻る様子は無いと思った。
一週間前くらいに昔の映画「楢山節考」というのを観た。
70歳に成った老人を生きたまま山へ捨てに行くという、江戸時代の貧しい地方の姥捨て山のお話である。
ず~と前にも観たが、その時とはかなり異なった感覚が立ち現われてきて・・まいった!
どのように自分の情感を整理しなければならないか・・・・・・。
この情緒をどうにかしないと前に進めないと2~3日考えていた。
そうして、兎に角、また「正法眼蔵」に救いを願った。
なぜか、いつも何か指し示してくれる・・。

正法眼蔵を読み、自分の現在の欲しい言葉を探した・・・・。

「あらゆる関係性が連続する時とは、今というような絶対の命のことだろう・・」と自分が自分に語りかけ、大自然と母に手を合わせた・・・・・。

そして、母が好きな花「コスモス」を水墨で描きたくなった。(いつかいつか母に描いてあげようと資料を集めていたが、なかなか花を描く気に成れなかったのだ・・もう今の生きた眼で絵を観ても分かってもらえないだろうが・・いずれ観てくれるだろうことを信じて)



「眼晴」(未完)

 (原寸大、部分)

原画サイズ 3号

水墨・麻紙


由三蔵 画






 

2017年2月25日土曜日

何故、生かされているのだろう

老人介護施設で暮らしていた94歳の母が肺炎を起こし入院した。
抗生剤を使って炎症を回復させたいという医師のもとで4日が過ぎて面会に行って来た時。
なにがあったか、母の様子がおかし・・・ただ「怖い、怖い・・」としばらく言い続けていたが、しばらくし、わたしの事が分かったらしい表情に変わったが、言葉は曖昧でよくわからない。
掛け布団を上げてみると、身体は両手をベットに繋がれ腹部をねじった布で拘束されていた。入院時の同意書がこれかと思った。
私の過去の失態からで、恥ずかしながら、十数年疎遠で過ごしてきたわたしの娘が偶然に同行してくれた。母は顔を見ても判らないし孫の子供の頃の記憶は有るだろうが、こんな今にそれが立ち現われることは難しいだろうと思った。それでも、娘は何度も何度も自分を誰だか判ってもらおうと言葉をかけてくれた。そして、わたしもこれが孫だと判ってもらいたいと言葉を色々変えて話しかけた。
時間にすれば15分くらいだろうが、ずいぶん長い時間そんなことを繰り返し続けていた気がする。
そして、やっと母の眼の視線が娘を捉えた。それから、少し笑みを浮かべた。おそらく苦しみで涙も枯れた眼だがきらきらしていた。
そうして、娘に視線を向けてやっとまともな言葉が・・・「好い娘になったんだね」と。
瞬間、胸が熱くなってしまった。

・・・かれこれ一時間余りが過ぎていた。
兎に角、わたしは過去と今が混然とし、ただ言葉なく嬉しく少し安どした。
これから、母の状態がどうなるかは分からないけれど、母の苦しみを知りつつ、一日でも長く生きてほしいと思う勝手な自己の思いをどのように解釈すればよいのか考えつつ病室を後にした。
道徳とか理性と判断力などなどが無力に感じる瞬間、瞬間であった。

そして、10日が過ぎた。
肺炎はだいぶ治まってきている様子であるが、世間で言う処の認知症に陥って来たようだ。
理解できる言葉はは少なく、わたしの名を呼ぶことと、「何も食べたくない」「なにがなんだかわからない」、あと意味も無く「そうなの・・」と言う。わたしは、言葉ではなく母の表情から何かを読み取ろうと思った・・・そして判らなくても語りかけようと。薄い乳白色を少し帯びたような母の瞳の奥で何を観ているのだろう。
そして、一か月前に在った時の母にはもう戻らないのか・・・という気がしている。哲学的に云えばだれも一か月前の自分になど戻れないのだが・・・。そんなふうにあれこれ考えているのは、きっと今という現実の場面をどのように(受け止めればいいのか)思考すれいいのか、霧に隠れた山の山頂を少し観たいという感じである。
おそらく、入院してから何度か夜中に苦しみや妄想からベットから降りようとして暴れたりしたのかもしれない。そのためにいまだに拘束されている。
安楽に人を死なせてくれない。それは自然を越えた大自然の摂理だろうか・・・。

そんな母から、また一つ学んだような気がする。
きっと、そういうことが「生かされている」ということの明かしなのだというこを・・。


心不可得

偏界みな不味の因果なり






2017年2月17日金曜日

図に乗って・・

先日、思い立って私の絵を評価して下さった日本画家のお宅へ自分の作品ファイルを持っておじゃましました。
その人は白髪の小柄で華奢な女性で、おそらく若いころは美人というか好まれる人ではなかったかと、つまり男にモテタような感じの人です。
お話していると内容から年齢も分かり、70歳を超えた位かなあと、まあ年は関係ないといいますが、じつに関係はあります。
それを決めるのは自分なのですが・・今でも綺麗な人だな~とも思いました。
「恥ずかしながら、画歴は特にありませんが、もう40年以上にわたり日本画を描いてきました・・」と言ってました。
そのような方が、あまりにもわたしの作品を高く評価しているということを感じてビックリしましたが、そんな褒め言葉を書くなど歯痒くてできません・・・この方は純粋に自己と向き合っているな~、一見強い個性は感じないが妙な魅力が伝わってくる。
昨年の暮れの美術展で初めてお会いした方で。「是非、由さんの他の作品の見せて頂きたい。わたしも数点水墨画を描いたのがあります・・」という年賀状の言葉もあってのことです。
「主人と年金暮らしで、細々と生きていますが、まだまだよりいい絵を描きたい・・」と、自分の絵も観てくださいと言われ、4~5点ほど大きな作品を見せて頂きました。(中に屏風の絵などもあり素人趣味ではない何かを感じたのです)
観た感想を聞かせてくださいとのことで、わたしはお世辞など云えないたちなので、絵を見て感じた事を伝えました。
一つの絵を指して「うまく云えないのですが、まだ描き切っていませんね」と・・・。ふつうそのように言われれば気分を害するだろが、わたしもこの人なら思ったことを正直に云ってもいいかなという感覚が立ち上がって来たのでいったのですが、、その言葉をどのように受け止めたのかまでは分かりませんが、「わたし、おおざっぱな性格でぱぱぱ~てやちゃうんです」と笑いながら言ってました・・おお、いいなこの雰囲気!若い人ならあたりまえのような言葉ですが、初老の女流画家の軽みの爽やかさを感じました。
その日は結局、ウマが有ったのか、話題はとりとめもなく繋がり、約4時間あまり楽しい時間を過ごさせていただきました。
この方の作品はおそらく一般の方が観たら、多くはきっと美しい日本画だと感じることでしょう。
「私は花が大好きで花の絵ばかり描いてます、きっと装飾的というかカタチばかりを描いているのかもしれません。でもなぜか描いていると花と一体となれる、そんな気がして趣味の延長のようですがやめられません」というようなことを語られていました。
(わたし自身は花を描いたことが無い、花を絵に描きたいとも思わない、つまりそれほどに好きではないからだろうか・・)
まあ、この出会いの場を語れば今書いている十倍くらいの言葉が必要でしょう。わたしの屁理屈につきあてもらいながらということもあってですが、兎に角。素敵な好いお友達ができたという幸せな気分でした。



ヤノマミの習作


この度、おじゃました日本画家の方から頂いた厚口の高価な麻紙
(いつか使用したいと思っていた・・)の
切れっ端2片に描いたものです。
まだ、手ごたえを掴めるまでにはいきませんが
新たな表現の可能性を感じました。

ヤノマミ・・という決定的に重要でありながら、いつも隠れている
言葉に成らない「なにものか」を表す画が描きたいと思っています。




 



2017年2月16日木曜日

情緒と創造

なにかが、すでにそこで終わったと思ったら、諦めるのではなく、また始めの一歩から始めるということが必要なのだ。というようなことを学び勇気づけられました。(ただたんたんと、それを繰り返しつづけることしかないと・・)
日本の、いや世界の偉大な数学者の岡潔氏の言葉を本で読んでのことであります。
(数学のことは皆目解らないのですが・・)

例えばピカソの絵画とか抽象とか、そのような芸術は仏教でいう無明の美だと、つまり人間の濁った心をとりだして表現してみせた優れた芸術家だというのです・・・現代社会がそれを高く評価する。が本来の芸術の役目を思えば、もしかして現代芸術はいくところまできてしまった。・・・(芸術の表現が自由だということとを考えれば、どこにその自由が有るのか。なにものにもとらわれることの無い世界こそが自由なのか。そうではあるまい、ただのそういうことの自由意思であろう)
いままでそんなことを考えてもしなかったけれど、ピカソを世間で高く評価することに疑問を感じていた自分にも・・・そうだ、そうだ、そうなんです。と心が温かくなったというか、自分自身の中にある美術概念を信じられるようになったとでもいっていいかもしれません。(ピカソのキュビズムもセザンヌ描いた絵を拝借して描いたようだし、アフリカの原始美術のデザイン化でもあるという・・・まあ兎に角、そのすじの欲望がたくましかった人でしょう・・何冊かの画集を買って、その何たるかの魅力を知りたいと試みました。しかし、残念なことに自分の心の弧線には触れなかったというのが本心です。・・偉大なピカソの心棒者には申し訳ありません)
まあ、だいそれた芸術の現代神様を批判するようなことを語りましたが・・・。
自分がピカソの良さが解らない理解できない、ということなのですが。兎に角もうそろそろ世間とかの評価にとらわれない自らの感覚と意思で行動しなければと感じていますが・・・自身の情感に嘘つくことには疲れたということのようです。
この岡潔という方は、人類の進化を億年単位で考えていられるように思いました。
たかだか二千年で人間の進化など観えるはずはないだろうと、それなのに現代人は短い間に幾つもの戦争を起こし、原子爆弾まで造ってしまった。さらに現代の営利目的の情報社会や科学の進歩などは人間の情緒を無視したような行為だと。そのような変化に疑問をいだいていたようです。
自然科学に欠けているのは感情だと。数学にも最終的な本質は情緒ということが関係してくるという、難解だな~と思っていたけれど、この方の思考を読んでいるうちに、なぜかそれが少し解るような気になってきた昨今です。(情緒というのは、一般で云われている喜怒哀楽とは違います。まったくその外にある知覚・感情?のようです)


2017年2月12日日曜日

屁理屈のような哲学だが

過去は何処へいったのか・・・今とは何なんだろう。

「時間を哲学する」という中島義道氏の著書を読み終えたばかりで・・

五分前に想起した自分の過去。小学生の頃の町内の相撲大会の事を思い出された。
いままで、なぜか何度か思い出される過去の情景だが、さらに克明に立ち現われてきた。
それは、連なる提灯が近所の公園にぶら下がり盆踊りが行われていたから夏の祭りのことだろう。
相撲大会がどのようなものであったかなどは思い出さないけれど、は~ちゃんと呼ばれていた体格の優れた少年を「うっちゃり」という相撲の技でやっつけた場面の心地が好い記憶である。そして、近所の顔役だった自電車屋のオヤジに頭をなぜられたことまで、過去の思い出となって想起された。
だが、その思い出された、そのたった今とは、もしかして五分前につくりあげた自分の過去のフィクションの物語なのかもしれないといことを、時間の哲学は問いかけてくる。
そして、実は今というのは無く、0.0001秒前の事も過去である。その過去と未来との流れの中で思考している時間を今と云っているだけで、日常使っている言葉の「今、パソコンでブログを書いている」たった今も実は過去のことである。
しかし、そうして考えてみると過去も未来も実体が無いという概念に結びつくのだ。実感として捉えるには簡単ではないが、ふとした瞬間にス~と感じるそれかもしれない。
仏教でいうところの無常のようでもある。

過去を思い起こすということは、夢の映像とかの視覚的なことではなく、それらを超越した何かのつらなりが、映像、あるいは画像(のような)モノをつくりだしている・・・・。
とすればリアリズムという現時点の視覚や触感や知覚ということは過去がつくりあげているということになるのか・・この本の最後ころに出てくる、古代哲学者のアリストテレスの「今は見えない」という屁理屈の証明がとっても新鮮に思えた・・^^)

今ある自己を常に越えていく深層の次元で、瞬間瞬間に立ち現われてくる「何」かは、見えないけれど確かに有る。
生きているという根拠を成しているのはそういうものだろうかと。


2017年2月5日日曜日

ヤノマミ・・

太古の人類が精霊を信じたように、そして野生の部族がパンツをはきだした時のように、現代人は原子力を身に付けた・・・まるで守護神のように・・原子力発電所の名前は「文殊」などという菩薩の名であった。(それはまた道元禅師の幼少期の名でもあるが)・・・いくら大切な何かを失ってしまったように思えても過去へはもどれない。まったく理解しがたく、いや、わかるような気もするし、またどうしようもないことのようだけれど、こういったことは考えなくてはいけない大切なことのように「ヤノマミ」国分拓・著 を読んでいて身体が震えだした。
(以前、DVDで観たNHKのドキュメント映画で、その著書です)

全ての生き物の世界は、どう考えても殺して生きる節理の中にあると思う。
宇宙自体が生き物だとすれば・・いったい「進化論」とは、はなんなんだろう?
兎に角、考えれば考えるほどに、わからないことが確かにたくさんある・・・。

人類が進化していくとすれば、生物を何も殺さなくても生きていける世界を創るチカラを見出す能力を身につけた人間に進化していかなくてはと思ったりもすが・・そういうのがSFだろうか・・・どうも違うように思えてならない。
本来の進化の目的は、どちらかといえば、いがいに仏教の輪廻や空の思想の方に近いのではと・・。

水辺で一人のしゃがんだ裸の女性と、腰に赤い布を巻いた少女がこちらを見ている一枚の美しいヤノマミの写真をしばらく眺めていた。
確かに写真を見ている今ここに、なにものかが立ち現われているようだが、残念ながらその存在は見えない。
単なる願望を満たすための空想からの現実逃避ではない・・「何か」
それをそのまま感じたままに水墨で描き写せば、心に観照できるかもしれないとも思った。
何度か観た映像の「ヤノマミ」は、わたしの中で、結局は何も言わない。沈黙のままだ・・・。
ただ、その観た感覚は身体が感じる野生の恐ろしさと共に、わたしには無数の優しい言葉が認識を越えて聞こえてきた気がした。
薄々無意識に思考していたことかもしれない何かが「ヤノマミ」を知ったことで、さらにはっきりと浮かび上がってきた妙なる存在のカタチとは・・・。
別段、こじつけでもいいのだが、現在自分が水墨で描きたいモノを描くこと、それが美の現成であり、野生の欲望の制御であり、しいては他者(世界)の繋がりになればという祈りなのかもしれない。
何歳になろうが、何かを新たに「知るということ」と「問うということ」そして「信じる」ということは、生きているということの証明のように、「ヤノマミ」という存在から学んだ。







 

2017年1月30日月曜日

フェルメール模写 第二!

というわけで、フェルメールの模写の二番目は「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの女)」の顔の部分です。
なんといっても始めて本物を観たのが約30年前に東京の美術館に展示された時になります。
その時に買ったポスターが、東京から越してきてからずっと現在の賃貸マンションのリビングに額に入れて飾ってあります。
数年前に再びこの絵が日本にやって来た時も観に行ったのですが、それが自分が前に観た絵と違うような感じを受けました。
まさか、どちらかが偽物だとは思いませんが、兎に角どこか違っていました。(時を経た自分の感じ方の違いかとも思ったものですが・・)
その30年前のポスターとの大きな違いは、唇の右側に光の点が有ることと、真珠の下の方に輝く光の点が消えていることです。そして新しく観た絵はコントラストが強く、明暗のトーンも異なり、色の深みも浅く浮いたように妙に明るく感じました。保存の為に修正されたのではないかと思いましたがさだかではありません。現在のほとんどの画集の絵はそうなっています。
そんな訳で、模写をするのに現在の複製画か古い複製画にするか考えました。顔だけにしたのもこの絵の魅力の全ては、なんといっても、その視線と半開きの口と真珠の輝きだと思ったからです。
で、どちらが元の絵に近いのか、本物は?・・とかはどうでもよく、不自然な唇の横に在る輝きのある新しいのはやめて、結局30年前の複製ポスターを基に模写することにしたのです。つまり過去の記憶の印象の方を優先した模写ということです。
若干色あせたほぼ原寸大ポスターですが、新しい複製画よりも、はるかにこの少女の魅力が感じられるのはなぜでしょうか・・。そうなると単なる模写ではなくなり自ら水墨で描きおこすということになるようで、つまり自分だけの、フェルメールが描いた少女の絵を新たにモノトーンで描くということになります。(いかにも水墨画工にふさわしい仕事だと・・だからか妙に充実感があります^^)
話はずれますが、現代の絵描きさんは絵を観るということより描くということに重きを置いている方々が多いように、ふと思いました。それは美術の教育自体が絵描きの側に立って評論している、観る側の立場ではほとんど語られていなからでしょう。だからか、どうか、絵を観る人より描く人の方がより増している感じがしないでもありません。
現代美術のような誰にでもできる技術の作品が現れ、しまいには手作業を否定する作家などもいます。そのコンセプトの蘊蓄にこそアート性を見出させるような社会現象も起こっているようにも思います。(現代美術批判はきりがないし、もしや自分もそのはしくれなれば、お前の描いてるものは絵などは無い!といわれそうで、ああだこうだ今云うこともないでしょうね・・)

兎に角、正月の4日より色紙代の手漉き画仙紙に描き始めて・・・・・ここまできました。
あと、少しトーンのバランス具合を調整して終りにします。




フェルメール 「真珠の耳飾りの女」

水墨模写(色紙大)

由三蔵 画







 

2017年1月20日金曜日

わからないを知る

あなたがあなたのままでいられる相手とお付き合いできることは幸せなのかな?

わたしがわたしのままでいさせてくれるあなたが好き。
でも、わたし、変わりたいの。
あなたは優しいけれどわたしを変えてくれない。
相手を強引に変えようとする人は好きじゃないけれど、さりげなく叱って欲しい。
あなたの真理で。

と、わがままな人を想像してみたのですが、人は変わりたい半面、変わりたくない、変わるのが怖いといった二面性が有るみたいです。
美しくなりたいという欲望は特に女性の場合に多く、また変わりたいというのも女性の場合の方に天秤はかたむくでしょう。
そして、自ら変化できるチカラも男性は女性にはかなわない・・・。(ここで言っているのは男性が女性になったりすることとは違います)

すごーい!
かわいーい!
わかんなーい!
わたしに何でも言って!
あなたは不潔よ!
あなたには私が必要なの!
私を人間として見て!
私はあなたの何なの?
ほんとうの愛って何?
これは、日本の哲学者の中島義道氏の書いた「女が好きな10の言葉」という本の帯びに書かれていた言葉です。
うむ~と考えてみて、兎に角、男は云わないだろうなとは思いました。

なんの役に立つという本ではないけれど、面白そうなので買ってしまいました。

最近ちょっと興味を持ちだした思想家のサルトルとの繋がりがどこかにあるのかも・・。
というのは、サルトルの代表作「嘔吐」(若いころ読めなかった)を買いに本屋さん(ブックオフ)へ行った時に出会ってしまったからです。
・・・・・・自分もこの年になってでも、まだまだ変わりたいという欲望があるのかもしれません。もちろん形態などではなく、精神的なところですがね。
だからといって原始の過去の人間の霊的要素がたとえDNAで潜在されていても、それを意識の段階に導き出すことは簡単ではないでしょう。
・・・が、しかし、芸術にはその可能性があると信じているというか、特に最近そう思うようになってきました。
恐ろしく、わからない。と云う事を知ることは、もしかして素晴らしいことではないかという実感が、わたしに現在の様な画を描かせているような気すらします。

今年も早々に、水墨修練のつもりでフェルメールの模写を描きはじめました。







2017年1月15日日曜日

一篇の詩

戦争の女を描いた長編小説に勝るような、現代詩人による一偏の詩がある。
もしかして、美の世界にも表裏が、その因果偏界でひとつになって現われるのではないかと思われた。

「崖」

戦争の終わり。
サイパン島の崖の上から
つぎつぎに身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追い詰められて。

とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがね
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

石垣りん 詩集より

創造することが罪なのならば、人生は悲しみそのものであるようだ。
楽しい絶頂の時にあっても、人はこんなに幸せでいいのだろうかという不安がよぎる。
神など信じてはいないが、明日は初詣に行って・・・何か、祈るのだ。


2017年1月14日土曜日

遥かかなたにあるであろう「美」を一番近くに引き寄せいるのは詩かもしれない。
詩はだれもが日常使っている言葉で世界を表しているけれど、なかなか理解しがたい。哲学の言葉と比べると誰でもが読める。が、それを読む、味わえる人は数多くいない。つまり、一番有用性のない存在が詩であると云ってもいいだろう。一般人には絵画のように気安く好き嫌いを感じるところまで行きつかないからかもしれない。頭の中で哲学が働かないと詩の言葉は読む人の感覚に触れることすらないからだ。
だが、しかしそんな言葉が突然、心に触ってくることもある。普通の人が詩人に近くなる時とはそのような場面である。これは、絵画の場合にも当てはまる。
「詩的な世界を体感すること」という言葉を考えてみるとわかりやすい。詩的な世界とはどのようなものだろうと・・。
例えば、(有用性の有る?)宇多田ヒカルや中島みゆきの音楽(歌詞)は多くの人々に感動を与えるが、詩人の詩集の言葉だけ(音楽なしの)を読む人はほとんど少数なのはなぜだろうと考えれば、若干だが詩の難解さも少し和らいでくるのではないかと思う。(かなり、恣意的かもしれないけれど美の本質はそのあたりに隠れているような気がする)
また、理解されやすい絵画があるとすれば、その多数に理解される絵画とはいかに?
フェルメールの絵画はどうだろう。二世紀も後になって世界に認められ、印象派好きの日本に至っては五十年くらい前には一部の美術研究家しか認めなかったのに、ここ十数年の間でブームにまでなってきたのは何故だろう・・・。(しかし、さらに絵画になど興味の無い一般大衆など、今の自分のアルバイトの同僚とかはほとんどが知らないという現実である。たとえばその絵画を観ても、写真のようで凄いねと云うことくらいかもしれない・・)
人はどのような時、深く詩的な感覚の心が立ち上がってくるのだろう・・・。
自分に分かるのは、ほとんど言葉では答えられない感覚だけなのが歯痒く、その自分の感覚の経験の中で倫理的なことを年をとって学びはじめているといったところだろう。これは晩学の趣味にのめり込んだ人のように思っているが、不思議と過去の記憶が以前より増して呼び起こされている実感がある。
(絵描きは黙って絵だけ描いていなさい!・・・・と誰かに怒られそうだが、わたしはどうやら言葉が好きなようだ。だが、残念なことに多くの言葉は無意味で騒音のごとくである)
自分は音楽が好きだが、やはり詩人の書く言葉と音楽家の作詞の言葉を比べると、全てとは思わないけれど詩人の書く言葉との間には隔たりがあり何か違ったものを最近感じるのである。
歌もいいが、音楽はやはり言葉の無い方が格段に自由である。

兎に角、詩をそう簡単に論ずること自体がおかしいけれど、わたしの深夜のひとり言の葉・・・・いつか詩でも描ければと思う。


2017年1月10日火曜日

銀彩の水墨






今までの由三蔵の水墨作品の中から三点ほど選んで
部分拡大してみました。


 
西洋の絵画は重く厚く深く、東洋日本の絵画は軽く薄く深く。おおざっぱに云えばそんな気がします。
現在、自分が描いている墨の絵はほとんど厚みはなく、絵の具ではないので筆のタッチなどありません。しいていえば筆の速さとその扱い方ということでしょうか。しかし西洋のレンブラントなどのデッサンのようなインクによる筆使いには同じような感覚があります。どこにインクと墨の違いがあるのでしょうね・・。
その両方を使って描いた事がある方は分かるかもしれませんが、描かれた絵の雰囲気は近いのですが、描いている感覚はかなり異なっています。
墨とインクの優劣を云っている訳ではないのですが、その水墨のモノトーンの輝きには和紙と折り合った彩が有るのです。
兎に角、西洋の絵画、哲学、すべての芸術には東洋とは異なった凄いものが有ると思います。が、わたしはやはり日本人であるためか、薄く軽くそして深くを求めてしまうみたいです。(それも、なかなか困難なのですが・・なぜか心地よいのです)



2017年1月7日土曜日

つまらない話


わたしの視覚が捉える平面全てを或る意味「絵(画)」と云っても間違いではないように考えます。
写真も書も広告も、テレビに映し出される映像も、絵が動けば動画です。
立体的に見えているモノも視線がとらえているのは平面で、それを脳が立体に調理しているわけで、だから眼を閉じても、何かに遮られても何かしらが視るのでしょう。
そして、眼球自体はたとえ眠っている時ですら絶えず動いているのですから不思議です。
また、視えているのに視えていないということもあります。例えば歩いている時や車を運転している時など特に視えているものは限られるでしょう。さらに、映画やテレビの画面でも気がつかない視えていなかったなどと云います。写真や絵画などでも視える人には視えても、視えない人にはいつまでたっても感覚できないのはなぜでしょう。
そう、つまりモノを観るとは視覚だけではない感覚のハタラキによるものだということになります。
また、御先祖様の霊が見えたり、神が或る時現われたりするのは何も特別な宗教的なことではなく、ごくごくあたりまえの現象なのかもしれません。(わたしは見たことないですが)

さて、つまらない話のついでに・・。
今夜、1988年に買った季刊「銀花」を読んでいました。(なぜ、その雑誌のその巻を手にしたのかわからないのですが・・)
ほとんど無名に近い人達の言葉や絵や写真・・・・その頃見ていなかったものが観えてきてきたのです。心臓の鼓動が速くなっているのに気がつきました。
さらに、細井富貴子さんという「銀花」編集長の書いた文章に強く胸を打たれたのです。
偽物ばかりの今の世を思うと、それらの文章の中心は名の知れぬモノづくり達の話で、その隣近所の命の手触りがする本物の言葉を読むことができます。

「麻痺の身を電気仕掛けにして欲しい」
「おれにしか見えない犬の笑い顔」
「しらないですむこと耳が拾い過ぎ」

その文章の中にあった、とある地方の障害者の竹内さんという人の川柳です。
お金があれば、今の科学では人工知能から身体にマイクロチップを埋め込んだりコンピュータ制御の電気仕掛けで麻痺の身を働かせることが出来るでしょう。
しかし、なにかこの句の情感や今は廃刊になった「銀花」を思うと、わたしには現代の科学が向かく処が少し違うように思えるのですが・・・。

1985年、始めて季刊「銀花」に出会って、自分の生の方向を大きく左右したことは確かです。
それまでほとんど見ていたのに見えなかったことが見えてきたのですから・・・。
その年、感動のあまり始めて投稿した言葉が「銀花」の投稿欄に掲載されました。・・・・その礼状ハガキがなんと編集長自ら、細井富貴子さんの自筆のものでした。(ささやかな自慢したい思いでの一つになってしまいましたが・・)
そして、今また・・・「銀花」から授かったような言葉が脳裏に立ち上がった。それは水墨で「銀彩」を描くことにあると。
もう一度が無い、描き直しのきかない人生と、手直しのできない水墨画。
これは妙に出来すぎた安い幸せであるが、やってみなくてはまだわからない・・・。

最近こんな広告コピーを読みました。「愛は人を美しくさせる」それは間違ってはいないかもしれません、だから愛を買い求めようとする人たちが沢山いて経済が働いています。しかしそれは化粧品やエステ、サプリメントなどなどでは決してありません。
きっとそれは人の心に愛を立ち上がらせるようなものでしょう。

それはどのようなものでしょうか・・・?



2017年1月2日月曜日

画工初心

mizu no kesiki

水墨

由三蔵 画




わたしが描きたいのは、美そのものではない。

それは描く事ができない。

わたしは美を指し示す絵を描きたいのだ。





 

2017年1月1日日曜日

2017 24時のあなたへ




あなたが私の眼にとまった時から、その魅力が何か考えていた。
単に、美しいとか可愛いとか自分好みとかであるとか、ではない妙な思いで、それが最近になってさらに高まってきている。
もしかしてそれは自分の経験以前にある、あるいは経験の外にある「何か」ではないかという考えが生まれてきた。

いまだかつてない未知の美意識を経験してみたいという思いから、それを示す何かが描く事によって表現できるような気がした。

人は生まれてからの経験の中で生きているかのようだが、実は美しいと感じる心は生まれる以前から遺伝している感覚があって、それぞれ違った、他者とは関係の無い自分だけの美意識があるのではないかと、またそれと同時に全ての人に共通した普遍的な美意識がその根源によこたわっているのではと想像する。
しかし、多くの大人は自分の経験を主に中心に据えて生きているいるから、なかなかその美に気がつかないか、あるいは意識上にカタチをつくらないのかもしれない。
普通に美しいモノや人を見て美しいと感じる、その心のさらに遠い深いところにある「美」を指し示すのが芸術ではなかろうか・・・。おそらく、美自体を言葉で表すことはできないし、それは美自体に意味などないからだろう。しかし、美は命の源でもあり、人類が誕生した時から今現在にまで絶えず生み出されてきたものだろう。


あなたを描くことはわたしを描く事でもあり、その行為から生まれる絵は他者と共有することの「何か」に必ず繋がるものとなることを信じている。
しかし、この「経験以前」とは何だろうという考えは漠然と湯船に浸かってた時にフッと現れた言葉で、さらに積み重ねて思考しなければならない。けれど、哲学者でない自分は描く事でそれを見出しすことができればと願うだけだ。

兎に角、あなたが描きたい・・・。