2019年12月18日水曜日

あした

新たな水墨へ

わたしの水墨による写実画

麻紙と水墨、ただそれだけで描く
他の一切の画材は使わない。


アルバイトは辞めた。

これほど集中して描きたいと思ったのは初めてのような気がする。
家内は、怒っている、子供も怒っている、、、、でもこの度は何か宿命を感じているので申し訳ないけれど、兎に角一時やらせてもらいたいという思いである。
この先、生活のこと住む家のこと、考えなくてはならない事はもちろんあるけれど、それらに対して絵を描くことが何になるといった答えはもちろん無いのだが。なんとかなりぞうだという気まぐれな直感だけはある。

やっと最近になって水墨は「裏切らない」という今は亡き水墨画家の素敵な先生の言葉がわかったような気がする。それは、思うようにならないという水墨のことだろう。思うようになっているという程度の画家の思考は実は誤診であり、思うようにならないことを信じることこそ、水墨の真髄ではないかと。それが「裏切らない」とうことかと。

自分の美意識だけを頼りに、あしたを想う。

本物を描く。
本物とは、エセーなリアリズムではないだろうか。


2019年11月20日水曜日

今というこの時

時は
流れず


現在のテーマはそのようになってきた


あらゆるモチーフの真髄を
透明な感覚をもって真写する
絵画的な虚構を捨て
そのものと自然に交わるときー

水墨の 
景色となる


兎に角、美しくあらねばならない

・・・・・・・

モデルさんを観るーのにカメラの手を借りて百数十枚の写真を撮った。
眼は連続して観ているはずなのに視えていないのだ。おそらく心(あらゆる感覚)が邪魔をしているのだろうがしかたがない、カメラは心などないから醜い?一瞬も捉えるがーそれがいい!そこに感覚する自分を発見する。
そう、
時は流れず
と。




2019年11月10日日曜日

新たな挑戦

兎に角

すみません。個展の模様をアップしようとしていたのですが、思っていた以上に充実感を超越した心持になってしまい、そういう余裕もありませんでした。思いがけない出会いや、奈良に住む甥っ子や三十年ぶりの飲み友達、アルバイト先の方、もちろん初めてお目にかかかる多くの方々、、、そして現在も自分を支えてくれている方々などなど、なんとも言葉では言えない感覚が立ち上がりました。
本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
(だが、個展にも来たわたしの家内は「あんた、踊らされているんじゃないの」と辛口ですが)踊らされるのは、わたしだから、うまく踊れるかは別にして、まったく構わないのです。
そして、踊らされる究極は!モデルをしてくれる女の子が冗談のように現れました。自分にとっては夢のような事でして、、、、、、、つまり兎に角、まさに本当にリアリズムが描ける喜び、、、、これ以上言葉にすることはできないのですが、新たな水墨の探求、挑戦になるかと思います。

初めての公募展へ出来上がった作品を出すつもりです。(詳しいことはまた)
その前に、現創会の招待作家で東京都立美術館に出品する作品の準備もありますが、この小さなせせらぎの流れを大切にしていきたいと思っています。


アトリエのモデルさんです。

2019年10月12日土曜日

個展の後半

今夜は久しぶりにブログの更新です。
(個展の模様の写真はまだ編集できていないので掲載できませんが)
というのも、明日は大型台風の接近に伴い個展を臨時休館させていただくことになり、妙に気持ちが外側へ、、はやく読みたいと思っていた本を開き、その福田恒存の思想の本を読んでいるうちに気付いたことを少し文章にしました。

この情報化社会の現代で静止することとは、静止しなければならないのはなぜか。
進歩とは、なぜ進歩しなければならないか。
アンビバレント!
でもでも、絶対の探求。

わたしは現在に生きながら、なお千年の歴史をもつものを引き受けてみることを選んだ。
それは、そのことのほうが近代のものより、生き生きとした感覚をもてると意識せずに感じた、それが水墨だ、ということのように・・・・・



2019年9月23日月曜日

墨水画展 二日目

初日と二日目、天気予報は雨とのことでしたが幸いほとんど雨らしきものもなく、静かに幕あけいたしました。
準備は兎に角大変でした。しかし疲労感もなく、ほぼ想像していた以上の展示ができたと思っています。
もうすでに、三人の素敵な方々と交友出来ました。

もうそれだけでも、個展をやってよかったという実感がわいてきます。

少し、時間ができたらブログで個展会場の模様を公開しますので楽しみにしていてください。
また、一か月間という長丁場の展示会ですので、興味のある方は是非観に来てください。

期間中、十月の四日と五日は娘の結婚式のため休ませていただきますが、基本的に土曜日から火曜日の間にはギャラリーに私は居ますのでよろしくお願い申し上げます。
私が居なくてもギャラリーの御主人はとても気さくで趣味もよく優しい方でご安心ください。

2019年8月28日水曜日

2019 墨水画展

初個展も、早1か月に迫ってきました。

一週間前に全身にジンマシンが発生し一日で引くかと思ったところ、三日ほど続いたためドラックストアにいって薬を飲んだら出なくなったのですが、はて?原因は何だったのか、、、まあ、三十年ぶりのジンマシン、身体は何かに反応し警告を鳴らしたわけで、それなりに思い当たるところもあり注意しようと思いました。
自覚出来ないな疲れ、というのもあるのかな~
この年齢で初めての個展、それは兎に角、大変です。

自分の「身体」は、自分だけのものではない。
もっと広い場所に置かれたものだ。

という、だれだったかの言葉に導かれたしだいなのだが、ほんとうにそのようである。

個展で展示する作品をざっと数えたら四十点ほどあった。

昭和初期の古民家での展示会、きっと素敵なものになるかと思います。

2019年8月4日日曜日

何なんだろう!

なんとも寂しく悲しい出来事だ。

個展のお手伝いをしていただくことになっていた人(すでに会場も見てもらい良いアイデアがあれば、、と)お手伝いされる方が映像関係の美術を学び何やら研究していると、詳しいことは分らないけれど、ならば水墨の制作現場を撮影してもらおうと思った。何か素敵な映像の共同のインスタレーションができるのではなかろうか、と。そして打ち合わせ等の予定の日の前日の夜九時十五分に、その助っ人の母親から電話があり、わたしの子供のお手伝いは止めさせたいと、就活もあるしと、、、心の中で、ええええええええ何なの、と思ったが、(自分の中にそのような感覚の気配がなかったわけではなかった)直観でその申し入れに黙って応じた。
母親の管理下の中でアートをするのも大変に違いない。といよりもっとそれ以前のこと、の理解に苦しむ、その親子とわたしの関係?いやそれだけではないのかもしれない。

本当に他者と関係していくのは大変だが、かといって他者なしで世界が成るわけでもない、もちろん自分の落ち度も色々あるだろうが、、、、兎に角、本人からのメッセージを待っている。
いま、柄谷行人さんの「漱石論集成」というのを読んでいるが、自己と他者の関係の複雑さ、そして自然と社会、内側から見た生、意識と無意識、まあ答えが出るような問題ではないとしても、大人になった子供を母親が管理する世の中、自由とは何だろうか?

2019年7月24日水曜日

なにもつくらないアーティスト

わたしの生き方そのものがアートなのだ!と天才バカボンみたいなことを言っている自称アーチストがいるーいるだろう。
制作したり表現したり、発表したり、というめんどくさいことが嫌いな人種かもしれない。このめんどくさいこと、苦痛もあるけれど―にこそ面白味や楽しさがあると思うのだが、天才のことはわからない。
いや、わからなくもない。そこまで考えるだけでなく考え抜いたのなら新しい芸術の発見かもしれない。
兎に角、アートは自由なのだから、その多様性を否定してもならないと考える必要もあるようだ。
現代美術を見たり聞いたり体験したり、ほとんどの人はそれを理解できない、なのに一部の批評家たちが判断し世界へ価値をもっていく。
つまり、わからないものには文句は言えないとでもいうかのように、、、
解らなかったなら、学べと。芸大生にでもなれというのか?でも、どれだけ考えても考え抜いたつもりでも、やっぱりわからないものはわからないのである。
感覚せよ!
それは、もっともっと誤信ではなかろうか、理性や道徳を無視した言葉だから。

今夜もまた哲学の罠にはまってしまったようです。

2019年7月23日火曜日

墨水地獄

三日ぶりに家に帰ってきました。
アトリエとは名ばかりの廃屋ですが最近やっと慣れてきて作業にだいぶ集中できるようになってきたようです。
墨水画の30号を始めました。
が俗に言うような写真のように描くという、わたしの水墨には荷が重すぎるかな~とかなんとか、乾く間に野矢茂樹氏の「哲学な日々」というエッセーを読んでました。日本現代哲学者の大森荘蔵に学んだ一人で、その学びの場などが綴られていて、まるで禅問答のような?(個人的にそう思った)授業だったようです。
教える授業ではなく、学ぶ側に立った授業のように思われます。
当時そういうことを受け入れる学生は少なかったのではないかと思います。
おそらく、自由とはそのような拘束の中からつかみ取ることだろうと。言葉の差異はあるにしてもサルトルとかも同じようなことを語っていました。

写真を見て写真のように描くことに意味はあるのだろうか?わたしには大きな意味があります。
描くという行為の中から生まれてくる、あるいは立ち現れてくる「何か」それは自己との対話をせざるを得ない時間がそこにあるから/自由があるから。

しかし、かといって実は写真のようには描けないのです。



2017 墨水画

由三蔵




2019年7月18日木曜日

秋の個展を前にして

案内状の印刷の依頼も終わった、、、。
ある程度頭の隅では展覧会の構想はできつつあるのだが。
何か足りない、何か腑に落ちない。近づきつつあるのに、何かが遠ざかっていくような、カントの「悪」論を読んだからかもしれないが、いやそれだけではない。

でも、もしかしてこのままそれでいいのかもしれない、この今をそのまま大事にすれば、ちゃんとうまくいく!

そう、カゲロウの水墨を描いた時もそうだったではなか、季刊「銀花」に掲載されていた3㎝ほどの写真のカットに妙に惹かれ、描けるかどうか、、、、時間は一月位かかったが、でもどうにかなっていった。

マイナスの自信過剰とでもいうのかもしれない。

兎に角!!


「カゲロウ」 部分

 墨水画



 由三蔵


 

2019年7月16日火曜日

案内状、出稿

今日、墨水画展の案内状のデザインをもって、この度その場となるKizasuさんのところへ打ち合わせに行ってきました。
そう、咲き始めの百日紅が庭先で出迎えてくれたような、、、、

そこの御主人と奥様とパートナの整ちゃんとの四人の会話はとても楽しく、この雰囲気、この場がそのまま墨水画展につながっていく気がします。

この展覧会を企んだのは、私ではなく、時間だ、と実感しました。

この企みがどうなっていくか・・・・・
わからないところも、わたしの墨水画のようです。


描き始め

完了

墨水画・2015作品

「ぬれねずみ」
3号 位


由三蔵



2019年7月12日金曜日

墨水画の世界

それは Philosophiren -

それは― するということ

技術の技術として身につけること

それは芸術の外側へ自らをつなげていくこと

Extase

それが一度抽象する作業に迫られる

にしてもー である。



案内状のための illustration

水墨


by yoshisanzo



2019年7月8日月曜日

商売ではない仕事

今日、お買い上げいただいた墨水画を額装し、お宅までお届けしました。
こういうことは年中あるわけではなく、ここ十年で二回目です。
そう、わたしの仕事は水墨画工という絵描きのようなことをしていますが、現金収入はアルバイトと年金で、画工業での収入は経費を引けば超マイナスです。ゆえに、これは商売とは言えないわけで。やはり、アートとか芸術とかの領域になっているのではと思う次第です。
だからというか、こういう出会い?から何かが新たに生まれてくることもあると思うのです。(不思議にいつもなぜか、こうなるのですが)
お届けしたお宅の奥さんとお嬢様と玄関でお話ししていました。額装も気にっていただき、秋の個展の子細を若干お話してました。
そんな中で、古民家一軒を貸し切って一か月間というエキシビジョンの計画に誰か協力者が欲しいと思っていたので、ついつい直観(この子いいな~という失礼な)で恥じらいもなく本音がででしまい、美大をでているというお嬢さんにこの度の個展への御協力を願い出てしまいました。
実際何をどうお手伝いしていただくかは考えてもいないのですが、おもいもよらず兎に角こころよい返事をいただき、インスタレーションを含めた個展への期待が膨らみました。

由三蔵の初個展、どうやらその墨水画の世界の可能性は、さらに面白くなっていきそうです。

コンセプションは「その、あいだ、にある、ハタラクチカラ」

water

extase

wonder


兎に角、いい仕事をしたいです。
是非、Yoshisannzo Solo Exhibition へお越しください。







2019年7月7日日曜日

この秋、初個展!

かねてから、この場所を借りてやりたいと思っていたエキシビション。
オーナーの方と相談で9月21日から10月20日の1か月間、古民家のカフェギャラリーを貸し切りで個展をやらせていただくことになりました。

細かいことはまた後日このブログで伝えてゆきたいと思っています。

2019年6月30日日曜日

令和アート展最終日

たくさんの方々にご来場いただき誠にありがとうございました。
最終日の今日はまるで嵐のような天候でしたが、それでも何人かのお客様が見に来てくれました。本当に感謝しております。
なお本日は極小作品がお嫁入しました。(素敵な奥様と可愛い娘さん)
案内状に使用した墨水画です!パネルでの展示だったので、後日に額装しお渡しすることにしました。
この度の展示会ではFBを見てきてくださった方々が何人もいて驚いています。

さて、早々に明後日には秋の個展の打ち合わせです。




2019年6月27日木曜日

死後の世界

先日、ギャラリーに来ていたお客様で九十何歳の素敵なおばあさんとお話をしていて、死後の世界はあると思いますか?と尋ねたところ、死んだら終わりよ!とあっさり言われた。実はあろうとなかろうとどちらでもいいと思っているけれど、わたしは死後の世界、天国とか地獄とかいうのではなく、何となくあると信じたいと思っていると応えた。
科学的にはどうなのかわからないけれど、遺伝子や進化の不思議を考えていると、例えば輪廻のような仏教思想が生まれことは何か死後の世界を物語っているようでならない。
そのおばあさんは死ぬことは何も怖くない、ただいまを一生懸命生きること、ただそれだけだ、と。だが、それは言葉上のことだけではないことを、そのおばあさんと会話していて感じた。まるですでに死というものを呑み込んでいるかのようにすがすがしいのである。
ありがたい出会いであった。

2019年6月26日水曜日

公募に出展

今日、開催中の三人展のギャラリーから帰ってくると、公募団体の現創展からの招待出品のご案内が届いていました。(わたしは二年前まで聞いたことのなかった団体ですが・・)
ほとんど興味の無かった公募というやつですが、時流というのでしょうか、第四十五回記念の招待作家という機会が立ち現れました。
兎に角、わたしは東京都美術館に展示されるといいうことだけで満足であり、ありがたいと思っています。
しかし、小さな墨水画作品しか描いていなかったわたしは30号から100号といったサイズに少々戸惑いを感じます、でも少し大きなものも描いてみたいと、今年になっての構想はありましたが未だ手を付けていません。
どういうわけか、企画は重なるものですね、初めての個展の企画も秋にやることが進んでいて、、、でもきっと、どうゆうわけかうまくいくだろうと空っぽの頭は思うのでした。

2019年6月25日火曜日

令和アート・三人展

今日で五日目

午前中は三人ほどのご来場者でしたが、午後二時を過ぎたころから続々とお客様が~!

少し疲れてしまいました、が本当に嬉しいです。

というわけで、午前中にいらしたイラストレーターの方が熱心に私の墨水画のことを聞いてきまして、今までにもどのようにして描いているいるのかと質問されることが多かったので、もしかしてと用意してきた麻紙と墨で描き方を簡単に実演することになりました。わたしも人前で筆を持つのは初めてのことなので、いつもの通りに手が動かず緊張しつつでしたが、どうやら彼にも何か伝えることができたようで、帰りがけににも深く頭を垂れていただきました。
他者の視線を気にしながら描くということの感覚を経験でき、わたしも心の中で深く頭を垂れました。


そして、午後からは知り合いの方々がほとんどでしたが十数人ほか友達など連れでのご来場で、兎に角。
墨水画工として生きることの励みになり、感謝しております。


2019年6月24日月曜日

三人展、四日目

今日は少し早めにギャラリーにやってきて、初日にアドバイスをいただいた「額のガラスの映り込みがすこくじゃまで、せっかくの水墨の良さが見えにくい」という言葉に応えるべくアクリルガラスを外した、やはり正解であった!
人はちょっとした判断を誤ることがしばしばある、今回も映り込みは意識にあったにもかかわらずやり過ごしていたのだ。
今夜は、自分の作品のポストカードを作っていた。
ご来場者で墨水画を気にってくださった方々にプレゼントしようとの思いからで、もしこのブログを見て既に来られた方がいて、ポストカードが欲しいと思ったらまた来てください😅

2019年6月22日土曜日

じつに絶望感

今まで書いた自分のブログを読んでみました。
本当に誤字脱字の多いこと、、、、、

ほとんどが酔っぱらい書き込みであるがためとも思った。

何がいいとか悪いとかは、実に難しい問題で、今の地球でそんな風に思うのは人間だけだと、、、、難しことを簡単に。簡単なことは難しいと実感すること。その実感というのはなんだ!

なんだ!!

今、自分が真剣で勝負しようとしているのは水墨による「墨水画」なのだが、、、

きっと、その「なんだ!」を感覚したい、というエロスの欲望に、耐えがたくもあるけれど、自分はその欲望に従っていくだろうと、、、。

その先待っているのは死であることは確かだろう、でもその前にあるのは、希望かそれとも絶望か、、、カフカは絶望名人などと書かれているけれど、そこには光が見える、創造の、だから私は希望でありたい。

2019年5月6日月曜日

さて/

哲学者のジル・ドゥルーズは、動きすぎてはいけない、関係しすぎてもいけない、と言っていましたが。
/その「すぎる」がどのあたりにあるのか。哲学せよ!といわれているみたいです。
スマホで様々なつながりは関係といってもいいかと。とすれば各々の判断力になるわけで時代の進歩が悪いわけでもないでしょう。
そう、それも人類の進化の小さな小さな一部であるという考えも起こってきます。
今日、NHKでDNAの新たな発見のことを観ていましたが、あまり実感がわいてきませんでした。それは、その映像が、細胞が動きすぎているように見えたからです。つまり、わたしは気分が悪くなったってしまった、というわけです。
その科学的な映像が真実かもしれませんが、やはり謎の生命のなんたるかは謎だと思いました。

さて/ブログを休んでいる間に描いた墨水画を投稿しますね。








墨水画

由三蔵

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2019年5月4日土曜日

人気の水墨

カワセミ

墨水画

由三蔵


2018展示会で人気のあった水墨です。
自分としては旨く描けたとは思いますが、ただそれだけでしょうか。
6月の20日から30日、御殿場のタイムキルで三人展を予定しています。
案内状が印刷されましたらまたUPしたいと思っております。


2019年4月6日土曜日

長々とお休みしておりましたが、また再開いたします

新しい年号が決まりましたね

「令和」

わたしは気にってます。

お休みしている間に描いた水墨画を少しづつ見せていこうと思っています。

これからも引き続きよろしくお願いいたします。