2020年3月25日水曜日

たった今

世界中がコロナ感染の中にある、たった今。の日本。

宗教、哲学、芸術・・・・・。

その分野でプロといわれている方々、なにか一言いえないものでしょうか?(情報メディアです)
で、は無理でしょうね。


さて、今にこそ、それぞれ個人の大切がものが何か。

それを、真剣に考察する。

時ではないでしょうか。

それは、科学や政治ではなく、宗教、哲学、芸術だと思うのですが、、、、。


目に見えないものの恐ろしさ、その反対側にある美しさ、見えないものがいかに重要だということを知らされます。




2020年3月19日木曜日

写実墨水画

よく絵に心が現れるなどといいますが、その心とは全く実体のない、その絵を観る人が知覚経験した妄想のようなものではなかろうかと思うのです。(それでもいいのですが)
しかし心のこもった絵がどのようなものなのか自分には理解し難い問題なのです。
わたしの墨水画はそのようなわけもわからない心(エゴころ)とかをできるだけ剥ぎ取っていったところからの「立ち現れ」を墨水画の中に見ていただきたいと願っています。

兎に角、わたしには技術(テクニック)が頼りなのです。
三十号、二十号の作品を描いてから(しばらく腱鞘炎になりシップしてましたが)墨水画の技術が進歩したように感じます。まずは、描くスピードが速くなったこと、墨色の黒の限界が読めてきたことなどがいえます。
下記の色紙に描いた墨水画ですが、以前ならゆうに三週間はかかっただろうが十日間ほどで描き終わりました。


墨水画

墨・水・色紙

由三蔵





2020年3月11日水曜日

ことば

言葉というものが人の体を傷つけたり癒したりするとすれば。
今日、コロナ感染で死亡した人が日本で十二人になったというニュースを見たのですが。その数字の表現をどのように受け止めるかを自分に問いかけてみると、わたしはそのニュース、情報の曖昧さに何とも言えないはがゆさを感じました。
ここ数年の間に大きな歴史的惨事がいくつも起こっています。
今現在その一つ惨事の真っただ中で生きています、、、、、、。

惨事そのものはもちろんですが、言葉、映像、情報の恐ろしさを経験すると同時に、自分自身それなりにしっかり、過去、現在、未来の中の今を見なければと感じました。

2020年3月9日月曜日

# Good Art

すべての人々の中にアートがある。(ベネチュア・ビエンナーレの概念のような?)
そういうアートを、外(世界)に向けることを、するかどうか?を現代のアート・イベント(日常の)などがしていることのように思います。で、もう一面のアートはまったく個人的な趣味のようなもので、好きで好きでたまらなく何かを創っている、また描い(書い)ているが、外(世界)は気になっていても悶々としているが、別段それだけでいいのだ、というのもあるでしょう。すべての人々にアートがある。というならば、それすらほんの世界の一部の出来事でしかないでしょう。
そんな事を考えていたら、アートという言葉が何を指しているのか、ほとんど分からなくなってきます。アーチストやら芸術家などなど、近年ではスポーツまでアートになってきました。まさか政治まではいかないとは思いますが、経済に組み込まれていることは確かのような気がします。そして、その根底に人類の起源があるとしたらなら、それは宗教、哲学、科学につながっているということになります。

身近にいる、アーチストと称する人たちをもう一度観察してみて、わたしの中のアートを見つけてみてはと。はたして見出すことができるかどうか、、、、、、?
むかし、むかし、デザインという外来言葉が流行りだし(今は当たり前)ましたが、わたしにはそれと変わりないようなアートという言葉でしかないように思います。

ごきげんいかが?という英語はありますが、ごきげんななめ?という英語は何でしょう、、、、、、。
どちらも、応えは Good!ですかね。


2020年3月6日金曜日

無「意識」

医学上の意識があるないということではなく、よく言う意識して何かするということの意識のことですが、例えば何かしようと思い行動(行為)するのと何も考えず行動(行為)してしまう。その両方に意識というのは実は働いていないのではないか。自分が意識しているというのは錯覚であって、その行動はおのずと行為が立ち現れたといことの中に意味があるのであって、意識していようといまいと、何かをしようとしていたのか、いなかったのかは「何かをした」という過去の表れがあるだけで、もともと「意識」というのは無いのではと。それを自己の意識と思うのは過剰な近代科学の影響によるものではないかと。それは他者の行動を見て思考するときに、ほとんど他者の意識などというものは、言葉以外に理解できない(正確には言葉だけでも理解できない)ということからもいえるのではないかと思うのです。
最近、自分は大変重要なことに今頃気が付いたのですが、言葉では到底あらわすことのできないもので、今まで経験してきた思考の仕方を変えなければならないが、そう簡単に長年生きてきて体得した感覚や思考、つまり多くは物理的に目に見えない事物のことを何とか納得できるようにしたいと、真剣に学ばなければと、、、、、、。

偶然幸いなのは、水墨を描いていることが唯一の頼みになりそうだということです。