たとえそれが何であろうと、何の動機であろうと、また何かの
真似であっても、それを描きたいという思いには必ず美の真髄が隠れていると思う。
「見えざるもののなかで最も見えざるもの」それは生き続ける根源的なハタラキだと思う。
描くという行為はその探究にほかならない。
透明な感覚をもって真写する。
絵画的虚構を捨てそのものと自然に交わる。
その時のハタラキそのものが水墨の景色となる。
五月二十一日からの展示会が中止になりました。
本物を観て頂きたかったのですが、このブログで写真に撮った画像を発表します。
今回掲載するのは、今年になって描いた墨水画の一部です。
真似であっても、それを描きたいという思いには必ず美の真髄が隠れていると思う。
「見えざるもののなかで最も見えざるもの」それは生き続ける根源的なハタラキだと思う。
描くという行為はその探究にほかならない。
透明な感覚をもって真写する。
絵画的虚構を捨てそのものと自然に交わる。
その時のハタラキそのものが水墨の景色となる。
五月二十一日からの展示会が中止になりました。
本物を観て頂きたかったのですが、このブログで写真に撮った画像を発表します。
今回掲載するのは、今年になって描いた墨水画の一部です。
墨水画 六号
麻紙
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墨水画 17×17
麻紙
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