2020年4月30日木曜日

描きたいと思ったもの

たとえそれが何であろうと、何の動機であろうと、また何かの
真似であっても、それを描きたいという思いには必ず美の真髄が隠れていると思う。
「見えざるもののなかで最も見えざるもの」それは生き続ける根源的なハタラキだと思う。
描くという行為はその探究にほかならない。
透明な感覚をもって真写する。
絵画的虚構を捨てそのものと自然に交わる。
その時のハタラキそのものが水墨の景色となる。


五月二十一日からの展示会が中止になりました。
本物を観て頂きたかったのですが、このブログで写真に撮った画像を発表します。
今回掲載するのは、今年になって描いた墨水画の一部です。

墨水画 六号
麻紙


墨水画 17×17
麻紙

2020年4月8日水曜日

Be Here Now 2

唯今

水墨は 禅(ZEN)とは切り離せないものがあります。

この度掲載した水の景色(月光)はサムホール・サイズながら手間がかかりました。


無の中に有があるとすれば、有の中に無があるということ。これも言葉の概念でしかないかもしれませんが、科学の現在ではブラックホールの中に宇宙が有るというアイデアを想像しています。
しかし、われわれの日常の確かさは、今宵の月の美しさを愛でるところにあると思います。



墨水画

SM 麻紙

水の景色・月光


由三蔵




BE HERE NOW

それは

現在でもなく過去でもなく未来でもない

時間も

意識も

こころも

実在しない


ただ、生きていて

今があるだけ


今宵はスーパームーン

世界中に月の光が、、、、、、。

2020年4月3日金曜日

伊豆天城・浄蓮の滝

五年前に描いた七滝の水墨いらいでしょうか。

水の景色はわたしの墨水画のテーマのひとつです。
感覚的にいえば、これほど自然に同化できるものが人類にとってあるのだろうかというものですが、現代哲学はさておいて紀元前の哲学の中に「水」を真理の中心に考えていたタレスという哲学者がいたようです。(間違っていたらすみません)
また、わたしは映画エイリアン・シリーズが好きでずっと観ていますが、完全生物のエイリアンと生物としてウイルスを考えると、どうかするとオバーラップしてしまうのですが。
純粋な水を汚してきた人類の歴史だとしても、おそらく水は絶えず新たに生物としての人間にも命をつなげてくれるだろうと信じています。
なぜか、そんなことは自分にはわかりませんが、美しいから、、、、、、。そのような気がするだけです。



墨水画

6号

麻紙


由三蔵