2020年6月28日日曜日

創造ということ

それはつくることではない

なること

なること、立ち現れること

それが表現なのかもしれない

それは自分のチカラではない

他者のチカラ

過去・現在・未来を

一本の平行な直線ではなく、垂直に見る

わたしがどこにいて

あなたがどこにいるのか

そして

創造者に出会うこと

あなたに初めて会えたようだ


この度の個展で、その創造者に出会えたような感官の喜びに酔えた。
「墨水画展1・2」はまだ個展の前奏曲のようなものだと感じている。

2020年6月20日土曜日

表現とはいかに、、。

「墨水画展2」の明日は搬入と展示です。FM&ローカルTVの生放送の出演もなんとかなりました。パーソナリティの方には、終わってから「お話がお上手ですね!」とお世辞を言われいい気分でした。(じつは直前まで緊張で心臓がバクバクしてました)
、、、、、できれば、明日の搬入は晴れてほしいです!!

昨日はアトリエで作品をまとめていて、ひと段落し珈琲を飲みながら手にした写真雑誌が28年前の「デジャブ」で付箋が挟まっていて開いてみると柄谷行人のエセーでした。
四ページほどの写真家についてのものでしたが、表現とは何か?といった内容で、鉛筆でアンダーラインがいくつも引かれていました。もちろん引いたのは自分なのですが忘れているものです。
兎に角、現在の自分を形成している一部であることはたしかでしたが、読み返すと「表現」するということを改めて考えさせられた。
あらゆるジャンルのクリエーターが陥っている誤り、自分自身を表現するってことを貫徹できているのかといこと。じつはテクノロジーだけではないかと、その道具、あるいは身体を使っているのは自分だとしてもである。そもそも、言葉自体がそうであると、本人が思って言った言葉すら正確に他者に届かない。なのに、人はたやすく「表現」という言葉を使う、、、、と。だからといってその柄谷行人のエセーに答えは無く「日本回帰」などというものを否定しているように思われた。

今回の個展は、どうやら表現ということを考えつつ10日間やることになりそうだ。


この写真はだいぶまえにモチーフにしようと撮影したものです。
現在、水墨で描いている途中ですが
「表現」とはいかに!と問いかけてきそうです。




2020年6月13日土曜日

ローカルFM

COAST-FM(FM‐ぬまづ)というFM放送に個展のPRで出演することになりました。
生放送で十五分くらいだそうです。
出演日:6月17日(水)pm13:08~です。

質問項目というのがメールで送られてきました。

1、墨水画とはどのような絵画?水墨画と違うの?
2、由さんが描かれるようになったのはいつごろ?きっかけは?
3、絵の題材、構図を決めるポイントは?
4、今回の展示会についての紹介。(テーマ、何点展示されるのか?など)
5、今回の作品の見どころは?
6、改めて、「墨水画展2」のPRを一言お願いします!

といった内容です。

今回、二度目の個展を開催する「カフェ&ギャラリー 萌」のオーナーの企みによるもので、、OKしたしだいです。

兎に角、個展まで、あと一週間になりました。
古民家のギャラリー・ハウスなのでコロナ渦の三密の心配も多少は緩和されると思いますので、ぜひ観に来ていただきたいです。ご来場をお待ちしております。

2020年6月11日木曜日

明暗だけの絵画空間

色のない絵画的世界とでもいえばいいのか、、、。
自分の場合は、特にモノトーンが特別好きというわけではなく、また絵画表現というのもでもなく、いまのところ言葉で自分のやっていることを言い表すことが難しくてできません。
鉛筆で超リアル、写真のような絵を描かれる方はさぞ面倒な忍耐強いことをされている。
もちろん、油絵、パステル、色鉛筆なども、写真のように?描くというのは技術力にものいわせなければできないでしょう。
なら、何故、水墨でリアルな表現をする方が少ないのか、、、、。と、ついつい思ってしまいます。まあ、それだけの魅力を感じないと言えばそれまでですが、どうしてでしょうかね。特に中国や日本人には鉛筆などより古くから文化の中にあって刷り込まれているはずの墨です。おそらくDNAには鉛筆より色濃く残っているはずだと、、、勝手な恣意的思考ですが(笑)

今回、個展のPRでローカルFM放送に出演することになり、その下準備で一般的な質問内容を前もって送ってきてくれたのですが、どのように答えたらいいのか考えています。

2020年6月10日水曜日

時は流れず

時とはなんだろうか?

昨年の初個展から、、、自分では次の個展のことなど考えてもいなかった。
あれから十か月、まさかの二回目の個展をやることになった。
時間は何をしてたのか、どのような働きをしていたのか、、、、、簡単なことだが、今度来た個展の話を自分が断れれば何も起こらない。でも、それはきっと違っていていて、たとえ断っても時は、今そこにあることには変わらないだろう。
いつも、「時」を考えるときに、プルーストと大森荘蔵の本と道元の正法眼蔵があらわれる。
難しことはともかくとして、今この時がいかに充実しているか。それが確かなら、個展という作品を発表する機会を、ひとつの時のハタラキとして受け止めることは間違いではないと思う。



昨年の初個展に使用した墨水画です。
原画は、ギャラリーのオーナーに差し上げました。

なんだか今見ると、いい水墨のように感じます。