2020年2月7日金曜日

震える心のアンテナ

「世界は終わろうとしている。まだ続いていくというただ一つの理由としては、世界は存在しているという理由しかない。この空の下に、この先一体、何をしようというのか。考えてみよ。物質的な存在は続くと仮定しても、そんなものが世界と呼べるか、歴史と呼べるのか。この世界が南米の共和国のような術策と道化を余儀なくされるとは言うまい。私達は、又、野蛮状態に還り、私達の文明の草だらけの廃墟を横切り、小銃片手に食を求める様になるともいうまい。そんなことは言わぬ。何故なら、こういう運命或いは冒険は、尚、原始時代の木霊、生き生きとしたあるエネルギーを予想するからだ。私達は新しい実例として、非常な道徳律の新しい犠牲者として、生活の条件と信じて来たものによって亡びるであろう。機械は、いよいよアメリカ化するであろうし、進歩は、私達のうちにある精神的な部分を、すっかり委縮させてしまうだろう。この実際の結果に比べれば、夢想家の、どんな血なまぐさい、瀆聖の、不自然な夢も問題ではない、ものを考える人に私は訴える、生命というものがあるなら、見せてほしい、と、宗教については、言うも無駄だし、その残りを捜してみる要もない、と私は思う。なぜかというと神を否定しようと肯定を祈る者だけが、汚らわしい奴となるというていたらくだからである。所有権は、長予権の廃止によって、実質的に消滅した。しかし、やがて、人間社会が、革命の正統な相続人と信じた人々から、その最後の持ち物まで復讐鬼のように、剥ぎ取ってしまう時が来るであろう。だが、まだこれは最大の悪ではない」―

この文章は、小林秀雄「近代絵画」のなかの「ピカソ」で引用されたボードレールの手記からです。
この後も少しつづくのですが、なぜ小林秀雄が「ピカソ」の論評で長々とボードレールのこの詩的な言葉を引用したのかー。わたしは、ピカソの絵を観て小林秀雄が知覚した一部であるとは思いますが、、、、、。何かを予言しているような気もします。

兎に角、読んでいて心が震えたので書き込んでしまいました。

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