2017年2月25日土曜日

何故、生かされているのだろう

老人介護施設で暮らしていた94歳の母が肺炎を起こし入院した。
抗生剤を使って炎症を回復させたいという医師のもとで4日が過ぎて面会に行って来た時。
なにがあったか、母の様子がおかし・・・ただ「怖い、怖い・・」としばらく言い続けていたが、しばらくし、わたしの事が分かったらしい表情に変わったが、言葉は曖昧でよくわからない。
掛け布団を上げてみると、身体は両手をベットに繋がれ腹部をねじった布で拘束されていた。入院時の同意書がこれかと思った。
私の過去の失態からで、恥ずかしながら、十数年疎遠で過ごしてきたわたしの娘が偶然に同行してくれた。母は顔を見ても判らないし孫の子供の頃の記憶は有るだろうが、こんな今にそれが立ち現われることは難しいだろうと思った。それでも、娘は何度も何度も自分を誰だか判ってもらおうと言葉をかけてくれた。そして、わたしもこれが孫だと判ってもらいたいと言葉を色々変えて話しかけた。
時間にすれば15分くらいだろうが、ずいぶん長い時間そんなことを繰り返し続けていた気がする。
そして、やっと母の眼の視線が娘を捉えた。それから、少し笑みを浮かべた。おそらく苦しみで涙も枯れた眼だがきらきらしていた。
そうして、娘に視線を向けてやっとまともな言葉が・・・「好い娘になったんだね」と。
瞬間、胸が熱くなってしまった。

・・・かれこれ一時間余りが過ぎていた。
兎に角、わたしは過去と今が混然とし、ただ言葉なく嬉しく少し安どした。
これから、母の状態がどうなるかは分からないけれど、母の苦しみを知りつつ、一日でも長く生きてほしいと思う勝手な自己の思いをどのように解釈すればよいのか考えつつ病室を後にした。
道徳とか理性と判断力などなどが無力に感じる瞬間、瞬間であった。

そして、10日が過ぎた。
肺炎はだいぶ治まってきている様子であるが、世間で言う処の認知症に陥って来たようだ。
理解できる言葉はは少なく、わたしの名を呼ぶことと、「何も食べたくない」「なにがなんだかわからない」、あと意味も無く「そうなの・・」と言う。わたしは、言葉ではなく母の表情から何かを読み取ろうと思った・・・そして判らなくても語りかけようと。薄い乳白色を少し帯びたような母の瞳の奥で何を観ているのだろう。
そして、一か月前に在った時の母にはもう戻らないのか・・・という気がしている。哲学的に云えばだれも一か月前の自分になど戻れないのだが・・・。そんなふうにあれこれ考えているのは、きっと今という現実の場面をどのように(受け止めればいいのか)思考すれいいのか、霧に隠れた山の山頂を少し観たいという感じである。
おそらく、入院してから何度か夜中に苦しみや妄想からベットから降りようとして暴れたりしたのかもしれない。そのためにいまだに拘束されている。
安楽に人を死なせてくれない。それは自然を越えた大自然の摂理だろうか・・・。

そんな母から、また一つ学んだような気がする。
きっと、そういうことが「生かされている」ということの明かしなのだというこを・・。


心不可得

偏界みな不味の因果なり






0 件のコメント:

コメントを投稿

☆コメントありがとうございます。

☆匿名ユーザーでもコメント出来るようになりました。
 管理の都合上、公開するまでに多少時間がかかる場合が
 ございます。なにとぞ宜しくお願い致します。