2019年7月24日水曜日

なにもつくらないアーティスト

わたしの生き方そのものがアートなのだ!と天才バカボンみたいなことを言っている自称アーチストがいるーいるだろう。
制作したり表現したり、発表したり、というめんどくさいことが嫌いな人種かもしれない。このめんどくさいこと、苦痛もあるけれど―にこそ面白味や楽しさがあると思うのだが、天才のことはわからない。
いや、わからなくもない。そこまで考えるだけでなく考え抜いたのなら新しい芸術の発見かもしれない。
兎に角、アートは自由なのだから、その多様性を否定してもならないと考える必要もあるようだ。
現代美術を見たり聞いたり体験したり、ほとんどの人はそれを理解できない、なのに一部の批評家たちが判断し世界へ価値をもっていく。
つまり、わからないものには文句は言えないとでもいうかのように、、、
解らなかったなら、学べと。芸大生にでもなれというのか?でも、どれだけ考えても考え抜いたつもりでも、やっぱりわからないものはわからないのである。
感覚せよ!
それは、もっともっと誤信ではなかろうか、理性や道徳を無視した言葉だから。

今夜もまた哲学の罠にはまってしまったようです。

2019年7月23日火曜日

墨水地獄

三日ぶりに家に帰ってきました。
アトリエとは名ばかりの廃屋ですが最近やっと慣れてきて作業にだいぶ集中できるようになってきたようです。
墨水画の30号を始めました。
が俗に言うような写真のように描くという、わたしの水墨には荷が重すぎるかな~とかなんとか、乾く間に野矢茂樹氏の「哲学な日々」というエッセーを読んでました。日本現代哲学者の大森荘蔵に学んだ一人で、その学びの場などが綴られていて、まるで禅問答のような?(個人的にそう思った)授業だったようです。
教える授業ではなく、学ぶ側に立った授業のように思われます。
当時そういうことを受け入れる学生は少なかったのではないかと思います。
おそらく、自由とはそのような拘束の中からつかみ取ることだろうと。言葉の差異はあるにしてもサルトルとかも同じようなことを語っていました。

写真を見て写真のように描くことに意味はあるのだろうか?わたしには大きな意味があります。
描くという行為の中から生まれてくる、あるいは立ち現れてくる「何か」それは自己との対話をせざるを得ない時間がそこにあるから/自由があるから。

しかし、かといって実は写真のようには描けないのです。



2017 墨水画

由三蔵




2019年7月18日木曜日

秋の個展を前にして

案内状の印刷の依頼も終わった、、、。
ある程度頭の隅では展覧会の構想はできつつあるのだが。
何か足りない、何か腑に落ちない。近づきつつあるのに、何かが遠ざかっていくような、カントの「悪」論を読んだからかもしれないが、いやそれだけではない。

でも、もしかしてこのままそれでいいのかもしれない、この今をそのまま大事にすれば、ちゃんとうまくいく!

そう、カゲロウの水墨を描いた時もそうだったではなか、季刊「銀花」に掲載されていた3㎝ほどの写真のカットに妙に惹かれ、描けるかどうか、、、、時間は一月位かかったが、でもどうにかなっていった。

マイナスの自信過剰とでもいうのかもしれない。

兎に角!!


「カゲロウ」 部分

 墨水画



 由三蔵


 

2019年7月16日火曜日

案内状、出稿

今日、墨水画展の案内状のデザインをもって、この度その場となるKizasuさんのところへ打ち合わせに行ってきました。
そう、咲き始めの百日紅が庭先で出迎えてくれたような、、、、

そこの御主人と奥様とパートナの整ちゃんとの四人の会話はとても楽しく、この雰囲気、この場がそのまま墨水画展につながっていく気がします。

この展覧会を企んだのは、私ではなく、時間だ、と実感しました。

この企みがどうなっていくか・・・・・
わからないところも、わたしの墨水画のようです。


描き始め

完了

墨水画・2015作品

「ぬれねずみ」
3号 位


由三蔵



2019年7月12日金曜日

墨水画の世界

それは Philosophiren -

それは― するということ

技術の技術として身につけること

それは芸術の外側へ自らをつなげていくこと

Extase

それが一度抽象する作業に迫られる

にしてもー である。



案内状のための illustration

水墨


by yoshisanzo



2019年7月8日月曜日

商売ではない仕事

今日、お買い上げいただいた墨水画を額装し、お宅までお届けしました。
こういうことは年中あるわけではなく、ここ十年で二回目です。
そう、わたしの仕事は水墨画工という絵描きのようなことをしていますが、現金収入はアルバイトと年金で、画工業での収入は経費を引けば超マイナスです。ゆえに、これは商売とは言えないわけで。やはり、アートとか芸術とかの領域になっているのではと思う次第です。
だからというか、こういう出会い?から何かが新たに生まれてくることもあると思うのです。(不思議にいつもなぜか、こうなるのですが)
お届けしたお宅の奥さんとお嬢様と玄関でお話ししていました。額装も気にっていただき、秋の個展の子細を若干お話してました。
そんな中で、古民家一軒を貸し切って一か月間というエキシビジョンの計画に誰か協力者が欲しいと思っていたので、ついつい直観(この子いいな~という失礼な)で恥じらいもなく本音がででしまい、美大をでているというお嬢さんにこの度の個展への御協力を願い出てしまいました。
実際何をどうお手伝いしていただくかは考えてもいないのですが、おもいもよらず兎に角こころよい返事をいただき、インスタレーションを含めた個展への期待が膨らみました。

由三蔵の初個展、どうやらその墨水画の世界の可能性は、さらに面白くなっていきそうです。

コンセプションは「その、あいだ、にある、ハタラクチカラ」

water

extase

wonder


兎に角、いい仕事をしたいです。
是非、Yoshisannzo Solo Exhibition へお越しください。







2019年7月7日日曜日

この秋、初個展!

かねてから、この場所を借りてやりたいと思っていたエキシビション。
オーナーの方と相談で9月21日から10月20日の1か月間、古民家のカフェギャラリーを貸し切りで個展をやらせていただくことになりました。

細かいことはまた後日このブログで伝えてゆきたいと思っています。