2019年6月30日日曜日

令和アート展最終日

たくさんの方々にご来場いただき誠にありがとうございました。
最終日の今日はまるで嵐のような天候でしたが、それでも何人かのお客様が見に来てくれました。本当に感謝しております。
なお本日は極小作品がお嫁入しました。(素敵な奥様と可愛い娘さん)
案内状に使用した墨水画です!パネルでの展示だったので、後日に額装しお渡しすることにしました。
この度の展示会ではFBを見てきてくださった方々が何人もいて驚いています。

さて、早々に明後日には秋の個展の打ち合わせです。




2019年6月27日木曜日

死後の世界

先日、ギャラリーに来ていたお客様で九十何歳の素敵なおばあさんとお話をしていて、死後の世界はあると思いますか?と尋ねたところ、死んだら終わりよ!とあっさり言われた。実はあろうとなかろうとどちらでもいいと思っているけれど、わたしは死後の世界、天国とか地獄とかいうのではなく、何となくあると信じたいと思っていると応えた。
科学的にはどうなのかわからないけれど、遺伝子や進化の不思議を考えていると、例えば輪廻のような仏教思想が生まれことは何か死後の世界を物語っているようでならない。
そのおばあさんは死ぬことは何も怖くない、ただいまを一生懸命生きること、ただそれだけだ、と。だが、それは言葉上のことだけではないことを、そのおばあさんと会話していて感じた。まるですでに死というものを呑み込んでいるかのようにすがすがしいのである。
ありがたい出会いであった。

2019年6月26日水曜日

公募に出展

今日、開催中の三人展のギャラリーから帰ってくると、公募団体の現創展からの招待出品のご案内が届いていました。(わたしは二年前まで聞いたことのなかった団体ですが・・)
ほとんど興味の無かった公募というやつですが、時流というのでしょうか、第四十五回記念の招待作家という機会が立ち現れました。
兎に角、わたしは東京都美術館に展示されるといいうことだけで満足であり、ありがたいと思っています。
しかし、小さな墨水画作品しか描いていなかったわたしは30号から100号といったサイズに少々戸惑いを感じます、でも少し大きなものも描いてみたいと、今年になっての構想はありましたが未だ手を付けていません。
どういうわけか、企画は重なるものですね、初めての個展の企画も秋にやることが進んでいて、、、でもきっと、どうゆうわけかうまくいくだろうと空っぽの頭は思うのでした。

2019年6月25日火曜日

令和アート・三人展

今日で五日目

午前中は三人ほどのご来場者でしたが、午後二時を過ぎたころから続々とお客様が~!

少し疲れてしまいました、が本当に嬉しいです。

というわけで、午前中にいらしたイラストレーターの方が熱心に私の墨水画のことを聞いてきまして、今までにもどのようにして描いているいるのかと質問されることが多かったので、もしかしてと用意してきた麻紙と墨で描き方を簡単に実演することになりました。わたしも人前で筆を持つのは初めてのことなので、いつもの通りに手が動かず緊張しつつでしたが、どうやら彼にも何か伝えることができたようで、帰りがけににも深く頭を垂れていただきました。
他者の視線を気にしながら描くということの感覚を経験でき、わたしも心の中で深く頭を垂れました。


そして、午後からは知り合いの方々がほとんどでしたが十数人ほか友達など連れでのご来場で、兎に角。
墨水画工として生きることの励みになり、感謝しております。


2019年6月24日月曜日

三人展、四日目

今日は少し早めにギャラリーにやってきて、初日にアドバイスをいただいた「額のガラスの映り込みがすこくじゃまで、せっかくの水墨の良さが見えにくい」という言葉に応えるべくアクリルガラスを外した、やはり正解であった!
人はちょっとした判断を誤ることがしばしばある、今回も映り込みは意識にあったにもかかわらずやり過ごしていたのだ。
今夜は、自分の作品のポストカードを作っていた。
ご来場者で墨水画を気にってくださった方々にプレゼントしようとの思いからで、もしこのブログを見て既に来られた方がいて、ポストカードが欲しいと思ったらまた来てください😅

2019年6月22日土曜日

じつに絶望感

今まで書いた自分のブログを読んでみました。
本当に誤字脱字の多いこと、、、、、

ほとんどが酔っぱらい書き込みであるがためとも思った。

何がいいとか悪いとかは、実に難しい問題で、今の地球でそんな風に思うのは人間だけだと、、、、難しことを簡単に。簡単なことは難しいと実感すること。その実感というのはなんだ!

なんだ!!

今、自分が真剣で勝負しようとしているのは水墨による「墨水画」なのだが、、、

きっと、その「なんだ!」を感覚したい、というエロスの欲望に、耐えがたくもあるけれど、自分はその欲望に従っていくだろうと、、、。

その先待っているのは死であることは確かだろう、でもその前にあるのは、希望かそれとも絶望か、、、カフカは絶望名人などと書かれているけれど、そこには光が見える、創造の、だから私は希望でありたい。