2019年8月28日水曜日

2019 墨水画展

初個展も、早1か月に迫ってきました。

一週間前に全身にジンマシンが発生し一日で引くかと思ったところ、三日ほど続いたためドラックストアにいって薬を飲んだら出なくなったのですが、はて?原因は何だったのか、、、まあ、三十年ぶりのジンマシン、身体は何かに反応し警告を鳴らしたわけで、それなりに思い当たるところもあり注意しようと思いました。
自覚出来ないな疲れ、というのもあるのかな~
この年齢で初めての個展、それは兎に角、大変です。

自分の「身体」は、自分だけのものではない。
もっと広い場所に置かれたものだ。

という、だれだったかの言葉に導かれたしだいなのだが、ほんとうにそのようである。

個展で展示する作品をざっと数えたら四十点ほどあった。

昭和初期の古民家での展示会、きっと素敵なものになるかと思います。

2019年8月4日日曜日

何なんだろう!

なんとも寂しく悲しい出来事だ。

個展のお手伝いをしていただくことになっていた人(すでに会場も見てもらい良いアイデアがあれば、、と)お手伝いされる方が映像関係の美術を学び何やら研究していると、詳しいことは分らないけれど、ならば水墨の制作現場を撮影してもらおうと思った。何か素敵な映像の共同のインスタレーションができるのではなかろうか、と。そして打ち合わせ等の予定の日の前日の夜九時十五分に、その助っ人の母親から電話があり、わたしの子供のお手伝いは止めさせたいと、就活もあるしと、、、心の中で、ええええええええ何なの、と思ったが、(自分の中にそのような感覚の気配がなかったわけではなかった)直観でその申し入れに黙って応じた。
母親の管理下の中でアートをするのも大変に違いない。といよりもっとそれ以前のこと、の理解に苦しむ、その親子とわたしの関係?いやそれだけではないのかもしれない。

本当に他者と関係していくのは大変だが、かといって他者なしで世界が成るわけでもない、もちろん自分の落ち度も色々あるだろうが、、、、兎に角、本人からのメッセージを待っている。
いま、柄谷行人さんの「漱石論集成」というのを読んでいるが、自己と他者の関係の複雑さ、そして自然と社会、内側から見た生、意識と無意識、まあ答えが出るような問題ではないとしても、大人になった子供を母親が管理する世の中、自由とは何だろうか?