この絵が多くの画家たち、また美術愛好家から驚異的に評価されるのは、まずそのサイズにあるだろ。それは、本物の名画を見なくても優れた複製図版で原寸大の作品として見る事が出来るということは、世界の名画の中でも唯一ではなかろうか。(実際、デューラの版画とか他にも個人的にはあるけれど・・)また、そんなことだけで名画なのでもない、この絵の本当の魅力は模写して始めて解ったことがある。それは、絵全体をひと眼で見ると穏やかな日常の編み物をする景色だが、しかしそれだけでは見えてこない細部をなめるように視た時に感じる臨場感は驚異としか言いようがない。特にそれは編み物をする女の視線が向かう手元の二本の糸の交差するところにあるだろうと感じた。
模写にあたって、この二本の糸、そのものの明暗強弱を紙の白を残し水墨で表現することが出来るか?ということに強く興味があった。模写に着手する前に絵を何度となく見詰め、その制作技法をイメージし、その手元の部分からから描き始めた・・・・。
兎に角、模写している時の、なんというか豊かな思考の流れや感覚を全て描き表すことは出来ないけれど、蒼いクッションのような道具入れからはみ出す白と赤い糸は、まるで水が流れ出るように描かれ、布や女の髪や顔の輝きはぼかされている。それから・・・・・また全体に二眼を注げば、驚く事に、そこには三次元の空間が視覚されるのである。
その絵の美の神秘の科学を感じたのは、この約21センチ四方の大きさに注がれる視角うちに立ち現われる感覚にあるのではではないかと・・・。
そんなこともあり最近になって、「光と視覚の関係」「脳と心の地形図」といった本を買って読んでいるが、科学では解明できないことがいかに多くあることかと、しかしそれより脳の仕組みや働きについて、自分の知らなかったことがさらに多くあることに知識のなさを痛感した。
それはさて置き、ほんとうにこんなに小さな絵でも十分「美」の世界を表現出来ることを知覚した。絶対ではない模写だけれど、豊かなぼかしとリアルな細部の臨場感をモノトーンに出来たこと、これは水墨作品としてもいいのではと思い、この度の展覧会に出品させていただきました。
「レース編みの女」 フェルメール (23.9×20.5) この度、水墨で模写した原画です。 自分の記憶が正しければ、中学校の美術の教科書にありました。 間違っていたとしても、わたしが目を閉じて立ち現われる この絵を最初に視た景色なのです。 おおよそ約50年前のことです・・・・。 ・ |
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