2016年12月24日土曜日

わたしの消息

今の自分、つまり私は・・・・・水墨の魅力で真の美を指し示すようなリアルな絵を描けたらと思っている。
今回のフェルメール「レース編みの女」の模写の経験は、いまだかつてない描く事の喜びをわたしにもたらした。それは画家の眼を追体験するような感覚を味わってとでも云うべきか。
そこには、匂いや手触りといったものまで感じることができた。そして水墨を筆に取り重ねて描いてる自分が「私」ではなく、わたしから浮遊したような身体が描いていたような、すでに過去の記憶として思い起こされる。
兎に角、何かが大きく、いや小さな変化を感じたことは確かだろう。
自分が今まで考えていた概念が過去の既成概念になって、新たに立ち現われ生まれてきた思考は仄かな光で照らされているような。その後、つづけて描いて絵になったのが「青鬼娘」だが・・・。
わたしがわたしを捉えようとするとわたしはす~とどこかへ消えていく。
だからといって、わたしは世界の中でわたしで在ろうとする。
わたしがわたしからいなくなる恐ろしさ・・・・・。
それは、子供の頃に経験したことで、自分から抜け出た自分の存在の記憶である。それは成人になるにつれ無くなったが、ベットで寝ている自分をもう一人の自分が天井の隅から眺めている光景である。まるで石膏で固められたように身動きできないわたしがそこにあったこと・・・・・・(あまり語ると創作になるから)ただそれだけだが、なんでこんな記憶を思い起こすのか解らない、けれどこの度の模写の体験はそれに近いところに在ったみたいで、魂だとか霊だとか関係なく思考することで認識したいと思っている。

あなたがわたしを観るとき
あなたはわたしをわたしとして観ている
わたしと同じように・・・
あおきむすめよ


「青鬼娘」部分

水墨

由三蔵 画





 


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