2019年7月23日火曜日

墨水地獄

三日ぶりに家に帰ってきました。
アトリエとは名ばかりの廃屋ですが最近やっと慣れてきて作業にだいぶ集中できるようになってきたようです。
墨水画の30号を始めました。
が俗に言うような写真のように描くという、わたしの水墨には荷が重すぎるかな~とかなんとか、乾く間に野矢茂樹氏の「哲学な日々」というエッセーを読んでました。日本現代哲学者の大森荘蔵に学んだ一人で、その学びの場などが綴られていて、まるで禅問答のような?(個人的にそう思った)授業だったようです。
教える授業ではなく、学ぶ側に立った授業のように思われます。
当時そういうことを受け入れる学生は少なかったのではないかと思います。
おそらく、自由とはそのような拘束の中からつかみ取ることだろうと。言葉の差異はあるにしてもサルトルとかも同じようなことを語っていました。

写真を見て写真のように描くことに意味はあるのだろうか?わたしには大きな意味があります。
描くという行為の中から生まれてくる、あるいは立ち現れてくる「何か」それは自己との対話をせざるを得ない時間がそこにあるから/自由があるから。

しかし、かといって実は写真のようには描けないのです。



2017 墨水画

由三蔵




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