2016年8月7日日曜日

流れとよどみ

これは日本の哲学者、大森荘蔵氏の著書のタイトルである。
自分のように学問を積みかねてこなかった人間には哲学を日常に引きずり込んでの、一見解りすそうなその文章でもかなり難解であるが、自分自身で考えなければ得るものはないに等しいということを再び学んだようだ。
話は本の内容ではないが、「流れとよどみ」という言葉を今現在の自分の在り方としてあてはめ考えてみた。すると、確かに「よどみ」がでてきたような気がして、濁った酸欠状態の水のイメージが今の自己照らし出しているともいえるし、また川の流れの途中に岩で囲まれた処にとどまっている静かな状況をつくりだしているのも「よどみ」ともいえるだろう。どちらにしても清く流れているような状態でないこと確かだ。
兎に角、この本に出会ったことは、見るということ、思いだすこと、世界とのつながり、自分と自然と命の関係、そして描くという行為に柔らかな衝撃を与えた。日常語で云えば、いままで逢ったことのない女性の中に魅力を感じるのに似ている。
いまの今までの思考の基本構造の再構築というか変化をもたらしているものがある。だからといって、自分の行動、生活が大きく変化するようなことではないけれど、何か漠然と正しい道筋?が見えてきたような気になってくる。
二十一章まである各章を何度も繰り返して読んでいる為に、まだ十一章で止まっている。

・・・酸欠状態は好ましくないけれど、流れの途中でたまった水が流れだすのは少し涼しくなった時期からだろうか・・・。



一水四見

水墨・和紙

由三蔵 画



2015年 作品

思えば・・・この作品も「流れとよどみ」を
暗示しているような気もしてくる。




 

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