2020年7月26日日曜日

生活の柄

この言葉は山之口獏という詩人の中にある詩のタイトルです。
今はもう亡き高田渡というフォークシンガーも歌っていました。
現在の自分はこの言葉の意味をもう一度考えているのです、、、、。

わたしの生活の柄あるとすればどのような柄なのか?
生活の柄とは、生き方であるとすれば、わたしの柄はポロックの絵のようなペンキ屋さんの汚れた作業着のようなものではないかと思うのです。これはかなり自分を美化しているナルシストの考え方で、そこに自分を陥れるフェミニストでもあり、さらにそれは主観的エゴイストであるのでしょう。
そんな自分が墨水画を描いているということだけが、生活の柄を変化させる、あるいは他者を受けいるることの兆しが、生活の柄を塗り替える、または重ね描きすることで新しいい柄が立ち現れてくるような気がしています。

両親をはじめ、友人、知人など何人かの人がこの世を去っていきました。
その人たちの生活の柄を感じます。

優れて美しいものには、どういうわけか悲しみ憂いのようなものが付いてきます。

お盆。ですね!!供養とはそうゆうものではないでしょうか。。。。

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