2020年7月10日金曜日

技術と狂気

プラトン、アリストテレスの時代から、すでに書物にあったことのようです。

「技巧だけで立派な詩人になれるものと信じてムッサの神々の授ける狂気にあずかることなしに、詩作の門に至るならば、その人は、自分が不完全な詩人に終わるばかりでなく、正気のなせる彼の詩も、狂気の人々の詩の前には光を失って消えてしまうのだ」と、、、、。

紀元前のプラトン「パイドロス」の解説からですが、現代でも通用するような芸術、アートの世界ですね。
わたしの墨水画もある意味では技術(技巧とは違うと意識してますが)そのもので情念などをなるべく持ち込まないようにしているのですが、狂気の絵画の前で光を失うのでしょうか?
やはり、時代、、、つまり時間と場所、歴史、現代の経験としての今の事実を信じたいと思います。もちろん、哲学的云々は別にして、、、、狂気とは何か、技術とは何か、創造とは何か、と言葉の捉え方でも異なります。そして記憶、想起、知覚する感覚を考察する必要はあると思っています。

とにかく、日常の生活に戻れば、哲学自体がどうなるのか、、、一番問題でしょう。

そうして、現代の哲学も意識しているようですね。

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