2020年1月31日金曜日

チャンバラ哲学

わたしは子供のころから「チャンバラ」が好きで、中でも「眠狂四郎」「座頭市」「子連れ狼」「必殺仕置き人」シリーズ、任侠と武士道が入り混じったようなドラマや忍者もの宮本武蔵、あるいは黒沢映画などなどを良く観たものです。
今現在でもDVDに録画したものを観るのですが、何が自分を惹きつける魅力なのだろうと問いかけたときに、そこに立ち現れてきたのは「いき」の構造、「信じるということ」でした。それは日本語で哲学するということでもあると思いますし、宗教も絡んできます。日本民族だけがもつ知覚能力ではないかと、感覚だけではない、それを超越した言葉で語ることが難しいすべての感官を超えたところにある何かとしか言いようのないものが存在するということです。
例えば現代では薄れてきたようですが、恋愛の仕方などはたかだか百年前と現代では大きく異なるところを考えてみるとよくわかると思います。もちろん今でも「いき」な恋愛も残っていると思いますが、多くの人には受け入れられないでしょう。残念ながら「他者」をどのように自分が受け入れるのか「相手の立場に立って思うこと」ということをどう認識しているかなのですが、他者の心なんか分かるわけなく、相手の立場に立った自分の思いでしかない、実に主観的であるというということを理解したうえで無意識に立ち現れてくるのが「いき」な行為であると、これは一種の美意識なのですが・・・。現代の恋愛は単なる欲望か、社会的、経済的に足を引っ張られたものが多いのではと思います。
まあ「チャンバラ」の魅力はそんな恋愛ではなく、おそらく殺す殺される、その殺陣が気分をスッキリさせるというところが大きいとは思いますが、それは世界共通の現象でしょう。そこらあたりを哲学するのはきっと大変でしょうね。
現在も大森哲学、柄谷行人・福田恒存思想あたりを読んでいますが、この問いに近づけるかどうかわかりません。

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