2020年1月18日土曜日

反絵画非芸術

十五年くらい前に、現代美術の川俣正氏が「アートレスーマイノリティーとしての現代美術」という本を書きました。まあ、現代の日本の芸術(アート)に対しての批判です。現代美術は一般の人には理解できないという他の美術との住みわけのようなアートフルに対しての苛立ちにも感じられる。という哲学者の鷲田清一「想像のレッスン」からの言葉ですが。
今現在でもその状況は変わらないと思いました。
わたしの描くという行為で生まれる墨水画も自分が絵が描けなくなってから始まったような感じもあり、芸術を単に「創造」する行為とは言えないところにあります。創造というのが何もないところから創造するという概念が芸術だという誤解が、一層一般の人々に特別扱いされているようにも思うからです。想像力というのはその人の内心にあるのではなく、外の世界との関係の中から生まれるハタラキ、あるいはハズミであるのであれば当然、無からの創造はあり得ないことになります。天才と呼ばれる人もそこのところは同じではないでしょうか。
わたしが知覚した「何か」(言葉にできないもの)を元に何かしらのカタチで表す行為、あるいは試みとしてつくられたモノを作品と呼んでいるのだと思います。
美術(芸術)・アートにはには、その「何か」を再確認できるような、そうさせてくれるような「揺り戻し」のチカラがあると感じるからです。

トランスクリティークという柄谷行人氏の思想から積極的に言葉を出すということに助けられましたが、過去・現在・未来という言葉の中の「今頃」を生きるしかありません。

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