2020年3月6日金曜日

無「意識」

医学上の意識があるないということではなく、よく言う意識して何かするということの意識のことですが、例えば何かしようと思い行動(行為)するのと何も考えず行動(行為)してしまう。その両方に意識というのは実は働いていないのではないか。自分が意識しているというのは錯覚であって、その行動はおのずと行為が立ち現れたといことの中に意味があるのであって、意識していようといまいと、何かをしようとしていたのか、いなかったのかは「何かをした」という過去の表れがあるだけで、もともと「意識」というのは無いのではと。それを自己の意識と思うのは過剰な近代科学の影響によるものではないかと。それは他者の行動を見て思考するときに、ほとんど他者の意識などというものは、言葉以外に理解できない(正確には言葉だけでも理解できない)ということからもいえるのではないかと思うのです。
最近、自分は大変重要なことに今頃気が付いたのですが、言葉では到底あらわすことのできないもので、今まで経験してきた思考の仕方を変えなければならないが、そう簡単に長年生きてきて体得した感覚や思考、つまり多くは物理的に目に見えない事物のことを何とか納得できるようにしたいと、真剣に学ばなければと、、、、、、。

偶然幸いなのは、水墨を描いていることが唯一の頼みになりそうだということです。

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