2020年12月26日土曜日

コロナ渦の一年~

良いこと良く無ない事、兎に角色々と大変な一年でした。 これから時代はどのように変化していくのか、、、、、民主主義の上で成り立っている自由。それが本当の自由でないことは誰もが気付いていることだろう。だからといって戦争下にあった不自由と比べればどれほど自由かしれない。自分がしたくもないことをやらされる、大半の労働はそのようで、生活のためと。労働しなくても生活できる方々も沢山いる。富裕層、あるいは労働出来ない一部の人達、年金族、などなど、、、、。

今度のコロナ渦で今まで見えていなかったことが数多く表に現れてきたように感じる。それは先の未来に繋がっていくであろう「何か」をどのように個人個人が考察するか、そしてどのような形態の社会になっていくのかを予想、想像せざるを得ないけれども、まず自分の足元をしっかり見つめ直そうと思います。

2020年12月13日日曜日

描ける!

今、描ける!ということ、この幸せを実感します。 

十年ちょっと、水墨をやりだして、ようやく描けるようになったかなって思ってます。
今は、ミロのビーナスに挑んでますが、、、、その古代の美術館に収まっているビーナスと時間との関係性から何かを考察しながらの作業です。

今回、投稿するのはその前に描いていた「みみずく」の墨水画です。花鳥園のミミズク、何か憂鬱そうでした、、、、。




墨水画

麻紙

由三蔵




2020年12月3日木曜日

疑問

 解からない事、不思議な事、感覚として経験したいこと、、、、。そういったことに対して自分が今、何ができるのだろうか?



おおよそ一昔前のコラージュ作品の中から気に入ったのを写真に撮り
パソコンんでリメイクし水墨のモチーフとしてつくってみた。
今の自分が欲しものが少し見えてきた。





2020年11月24日火曜日

Prolegomena

 ひさしぶりの更新になります。
プロレゴメナ(序論)カントの哲学書です。最近になって読み始めました。
先日のブログで墨水画第三期などといってましたが、通俗性を拒否することはなかなか困難なことであることを実感しています。もういちど「透けて見えるようにやる・・」というプルーストの言葉に立ち返ってモチーフを考察しなければと感じてます。で、兎に角、描かずにはいられずれ試作をやっています。

Ma-U2
墨水画 麻紙

御河童
墨水画 新麻紙


この二点は約20㎝くらいの小さな作品です。Ma-U2は昨年20号に描いたモデルと同じモチーフで新たに描きました。現在、第三期の序論として「小さなダンサー」の習作を描いています。もうそろそろ終了というところです。

プロレゴメナ

墨水画 6号

麻紙

由三蔵







2020年10月21日水曜日

墨水画・第三期はじまる

完成予想図を描くというのと絵画を描くというのとは水と油のほどにあるだろう。 しかし、そこにある意識とはどちらにしろ「ある/予想図」だと思った。そして大切なのはモノ、ではなくハタラキにあると。物語ではなく、その中にある言葉(感覚)のハタラキ(身体と世界)・・・リアリティーそれはやはり現象学的問題のようだ。



モチーフ
ある現象学的予想図





2020年10月16日金曜日

アート・ファン

 2016年に水墨で描いたフェルメールの「レースを編む女」の模写をある方が気に入られ先日納品しました。昨日、そのお宅から連絡があり額に入れたので観に来てほしいと、、、。安い中古の色紙額に入れてお渡ししたのですが、見に行ってきました。素敵な額装で、なんだか絵が喜んでいるみたいにみえました。

その方の邸宅は広いお庭に茶室まであり優れた和風建築で、絵画のほかに陶芸、屏風、などなどまるで小さな美術館のようなお宅です。そして、わたしの作品を五点ほどお貸しし展示させていただきました。



フェルメールの「レースを編む女」模写

水墨

原画とほぼ同寸で描いてあります。



2020年10月12日月曜日

モーリス・メルロ=ポンティ

 1908年生まれ。フランスの哲学者。

わたしはセザンヌに興味があり何冊かの書物を読んでいる時々に出てきた哲学者の名前であって著書自体を読むのは初めてでした。その「メルロ=ポンティ コレクション」を読んでいるのですが、その項目のなかでー絡み合いーキアムス(見えるものと見えないもの)から、というのがプルースト批判だったのです。プルーストの芸術の方法に「透けて見えるようにやる・・」という言葉があるのですが、その言葉を壁に貼ってほぼ毎日のように思索してきました。その事実を哲学的に語っている・・・何か今までにない感覚に鳥肌が立つような思いで何度か読んでいるのですが、経験が伴わないためか、まだまだ理解に苦しんでいます。しかし、おそらく近いうちにその兆しが、墨水画を描くことで見えてくるのではないかと信じています。身体(からだ)で観ること、その対象から見られているということ、、、とはどういうことか?なのです。