2020年2月10日月曜日

わたしの墨水画

水墨の現在は偶然を生かすことに重点をおいているけれど、わたしのは少し異なっていて、偶然をおさえることによってリアリズムを探求し、そこから立ち現れ来る偶然の妙を味方にしたいと思うのだ。

不自由なことは、自由をあきらむる、なにかの表れだと思う。


絵画とは、その他の造形芸術がなし得るよりもはるかに深く理念の域に徹入し得るし、またこれらの理念に応じて直観の領域をいっそうし得るからである。
「判断力批判」カント(角川文庫)~より

2020年2月7日金曜日

震える心のアンテナ

「世界は終わろうとしている。まだ続いていくというただ一つの理由としては、世界は存在しているという理由しかない。この空の下に、この先一体、何をしようというのか。考えてみよ。物質的な存在は続くと仮定しても、そんなものが世界と呼べるか、歴史と呼べるのか。この世界が南米の共和国のような術策と道化を余儀なくされるとは言うまい。私達は、又、野蛮状態に還り、私達の文明の草だらけの廃墟を横切り、小銃片手に食を求める様になるともいうまい。そんなことは言わぬ。何故なら、こういう運命或いは冒険は、尚、原始時代の木霊、生き生きとしたあるエネルギーを予想するからだ。私達は新しい実例として、非常な道徳律の新しい犠牲者として、生活の条件と信じて来たものによって亡びるであろう。機械は、いよいよアメリカ化するであろうし、進歩は、私達のうちにある精神的な部分を、すっかり委縮させてしまうだろう。この実際の結果に比べれば、夢想家の、どんな血なまぐさい、瀆聖の、不自然な夢も問題ではない、ものを考える人に私は訴える、生命というものがあるなら、見せてほしい、と、宗教については、言うも無駄だし、その残りを捜してみる要もない、と私は思う。なぜかというと神を否定しようと肯定を祈る者だけが、汚らわしい奴となるというていたらくだからである。所有権は、長予権の廃止によって、実質的に消滅した。しかし、やがて、人間社会が、革命の正統な相続人と信じた人々から、その最後の持ち物まで復讐鬼のように、剥ぎ取ってしまう時が来るであろう。だが、まだこれは最大の悪ではない」―

この文章は、小林秀雄「近代絵画」のなかの「ピカソ」で引用されたボードレールの手記からです。
この後も少しつづくのですが、なぜ小林秀雄が「ピカソ」の論評で長々とボードレールのこの詩的な言葉を引用したのかー。わたしは、ピカソの絵を観て小林秀雄が知覚した一部であるとは思いますが、、、、、。何かを予言しているような気もします。

兎に角、読んでいて心が震えたので書き込んでしまいました。

2020年2月6日木曜日

近代絵画

絵画についての批判論は沢山あるけれど、面白く読めるような文章を書ける評論家はあまり多くはないような気もする。最近では芸術専門の人より文学者とか科学者とかが書いた文章の本が味があって面白いと思う。
小林秀雄「近代絵画」の中のセザンヌとピカソをまた読んで、前には感じたことがなかった精神的ではない肉体感覚のような、手触りを味わうことができた。
もう一人「気まぐれ美術館」というタイトルで芸術新潮に連載されていた洲之内徹という人も優れて個人主義的で面白い、特に無名に近い画家たちを発見して書いていて、近年にはいない批評家であると思った。

画家というのは絵について多くを語らないというのが通説のようだが、中にはダヴィンチの手記やゴッホのように沢山の手紙が残されています。確かにそれらを読むと何かわかったような気になりますが、しかし言葉の向こう側には作品があるわけで、それらをどのように知覚するかが私自身の問題であるという感じがします。

2020年1月31日金曜日

チャンバラ哲学

わたしは子供のころから「チャンバラ」が好きで、中でも「眠狂四郎」「座頭市」「子連れ狼」「必殺仕置き人」シリーズ、任侠と武士道が入り混じったようなドラマや忍者もの宮本武蔵、あるいは黒沢映画などなどを良く観たものです。
今現在でもDVDに録画したものを観るのですが、何が自分を惹きつける魅力なのだろうと問いかけたときに、そこに立ち現れてきたのは「いき」の構造、「信じるということ」でした。それは日本語で哲学するということでもあると思いますし、宗教も絡んできます。日本民族だけがもつ知覚能力ではないかと、感覚だけではない、それを超越した言葉で語ることが難しいすべての感官を超えたところにある何かとしか言いようのないものが存在するということです。
例えば現代では薄れてきたようですが、恋愛の仕方などはたかだか百年前と現代では大きく異なるところを考えてみるとよくわかると思います。もちろん今でも「いき」な恋愛も残っていると思いますが、多くの人には受け入れられないでしょう。残念ながら「他者」をどのように自分が受け入れるのか「相手の立場に立って思うこと」ということをどう認識しているかなのですが、他者の心なんか分かるわけなく、相手の立場に立った自分の思いでしかない、実に主観的であるというということを理解したうえで無意識に立ち現れてくるのが「いき」な行為であると、これは一種の美意識なのですが・・・。現代の恋愛は単なる欲望か、社会的、経済的に足を引っ張られたものが多いのではと思います。
まあ「チャンバラ」の魅力はそんな恋愛ではなく、おそらく殺す殺される、その殺陣が気分をスッキリさせるというところが大きいとは思いますが、それは世界共通の現象でしょう。そこらあたりを哲学するのはきっと大変でしょうね。
現在も大森哲学、柄谷行人・福田恒存思想あたりを読んでいますが、この問いに近づけるかどうかわかりません。

2020年1月20日月曜日

美術に生きる

久久振りで美術に関する話を、わたしからすれば随分と若い美大卒の女性と長い時間にわたって談話できたことの喜びと、手が届く目の前に存在した、これから美術で生きていこうとしている一人の女性との出会をブログに示したかった。
なかなか自分のような無名の、まして高齢者の絵描きの相手をしてくれる若い人は地方では稀でいなかったが、先日のモデルさんといい、一週間前くらいに某ギャラリーで知り合いになり、お会いしたのは二度目なのだが。モデルになってくれた方はアートとはほとんど無関係の仕事の人であったから話の内容も、美術の話は私の一方通行のようで、まあ世間話といったぐあいでした。
この度の若きアーチスト、リカちゃんはまだまだこれから可能性を秘めた、ある意味では美術の生き方を模索中の人のように思いました。(まるですべて世間を理解しているようなふりをしてる若者ではなく、さまざまな現代の情報の怖さに気が付いている人でした)兎に角わたしが夢中になって話すこと、それを聞いてくれた。もちろんわかってくれたなどとは思っていないが、会話になったのは何かがつたわったな~という感じがした。
家族や身内の人ならともかく、自分の子供ような年齢の他者である女性と会話が繋がったという実感は、ともに美術を生きるという意味で貴重な今頃が立ち現れたような、一種のエラン・ビタール(生命の跳躍)だと思った。

2020年1月18日土曜日

反絵画非芸術

十五年くらい前に、現代美術の川俣正氏が「アートレスーマイノリティーとしての現代美術」という本を書きました。まあ、現代の日本の芸術(アート)に対しての批判です。現代美術は一般の人には理解できないという他の美術との住みわけのようなアートフルに対しての苛立ちにも感じられる。という哲学者の鷲田清一「想像のレッスン」からの言葉ですが。
今現在でもその状況は変わらないと思いました。
わたしの描くという行為で生まれる墨水画も自分が絵が描けなくなってから始まったような感じもあり、芸術を単に「創造」する行為とは言えないところにあります。創造というのが何もないところから創造するという概念が芸術だという誤解が、一層一般の人々に特別扱いされているようにも思うからです。想像力というのはその人の内心にあるのではなく、外の世界との関係の中から生まれるハタラキ、あるいはハズミであるのであれば当然、無からの創造はあり得ないことになります。天才と呼ばれる人もそこのところは同じではないでしょうか。
わたしが知覚した「何か」(言葉にできないもの)を元に何かしらのカタチで表す行為、あるいは試みとしてつくられたモノを作品と呼んでいるのだと思います。
美術(芸術)・アートにはには、その「何か」を再確認できるような、そうさせてくれるような「揺り戻し」のチカラがあると感じるからです。

トランスクリティークという柄谷行人氏の思想から積極的に言葉を出すということに助けられましたが、過去・現在・未来という言葉の中の「今頃」を生きるしかありません。

2020年1月10日金曜日

2020

ブログの更新、、、。

忘れていたわけではないのですが、水墨に集中していてブログに気が入りませんでした。
やっと、新しいモチーフの20号の墨水画の完了にめどが立ちました。アルバイトもやめ昨年の11月頃から始め、暮れから正月もなくアトリエ(伊東のボロ家)にこもって制作に集中していました。
その作品は初めての全国公募展へ出品します。今回で最後となる「IZUBI」とういう静岡県伊東市のビエンナーレです、もちろん選外であれば展示もされませんが、まあ運が良ければ入選できるでしょう! しかし、20号~50号で1点限りの出品ということなので前回の感じではほとんどが50号クラス、まして私のは20号のモノクロの水墨、これは運を天にまかすしかないでしょう。でも、この度の墨水画は今まで描いた中でも最高の出来ばえだと自負していますが、どうなるか楽しみです。
今日、借りブチの額装をしてきましたが、若干顔の一部のトーンが気になるり修正してから2月の始めに搬入です。

今年はオリンピック・イヤーですね。
兎に角、皆さまともども良い年になればと思っています。